いくつも日本語訳されているので、興味深く見ているし、
その情熱と愛情をリスペクトしている。
それは、他の人もそうで、
木刀を振っている人が、美しい写真を撮っていたりすると
感心するし、すごいなと思う。
苦しい病気と闘いながらも、海外までモリッシーを見に行って
凍えながら並んでいたりする人も、すごいなと思うし、
海外まで見に行っているebifuraiさんもすごいなと思う。
日本語の自伝を出版するのも、情熱と行動が素晴らしいと思う。
確かに僕は買ってはいないけどね。
買ってはいないし、読んでもいないけど、リスペクトはしている。(本当か?)
正直なところ、みんな、僕より立派な人たちだと思う。
それは、さておき、この歌は、モリッシーにしては、ちょっと珍しい。
世界から孤立しても、どこか睨み返しているようなところがある人が
こんな歌を歌うのかと当時思った。そして、このバージョンの存在を知った時、
素直に、ちょっと待てと思った。
これが、収録されていないのは、おかしいだろうと思った。
まあ、いつか、日の目を見ることもあるだろう。
この歌に、迷いすぎるというフレーズがある。
若い人の相談に乗っていても、僕の頃より迷う時代だと思う。
理由は、情報過多だからだ。
僕は、今より全然、情報が手に入れられなかった。手に入れるのに必死だった。
Googleで検索したり、Twitterで検索してとか当初はできなかった。
Youtubeで説明動画を探したりとか、そんなことはできなかった。
あるやり方を調べたとして、別のやり方が上手く行っていたら、
そちらを採用するだろう。
今の人たちは、何が上手く行くのかを探しているのだと思う。
自分で探していると思う。
教わると言うことがどの程度あるだろう?
この人を信じてみよう。この人から教わろうとか思うだろうか?
たくさんの情報を集めるのではなくて、この人を信じてみよう。
たとえ、どういう結果になるとしても、とりあえず信じてこのまま進んでみよう。
僕は、そういう生き方をした。
でも、いま、こういう生き方をするのは、とても難しい。
別の考えが上手く行っていれば、その人を信じようと心変わりするだろう。
そして、別の人を信じ始める。
だから、迷う。迷いやすい。そして、人を信じられない。
モリッシーのおかげで、世界のいろいろなところに行き、いろいろな人に出会った。
僕が長時間並んでいた時に、出会った連中は、個性が強かった。
強すぎると言うか、芯も強くて、自分には自分の考えがあるという人々だった。
尊重したいと言うより、尊重するしかなかった。
でも、行動力と情熱はすごかったし、自分たちのしていることに迷いが無かった。
そこは、すごいなと思った。
かつては、私も全身全霊だった時代があった。
結局、時が過ぎて、良かったこととして思い返されるのは、
全身全霊の時、ギリギリのところにいたときだ。
苦しかったけど、生きている実感を感じたなんてことはないだろうか?
結論は、そんなものだということだ。