仕事で悩むかと言われると、
悩むこともあるが、
どちらかと言うと考え続けている。
悩むこともあるが、
どちらかと言うと考え続けている。
フリーター時代から職を転々としたこともあって
会社員になってからも転職を繰り返した。
会社員になってからも転職を繰り返した。
かなり、悩んでは来た。
しかし、ここまで来ると、慢性的に悩んできたので
悩むことに慣れてしまっている。
しかし、ここまで来ると、慢性的に悩んできたので
悩むことに慣れてしまっている。
だから、膨大な時間悩みすぎて、もはや深刻に悩んでなくて
具体的に考えている。
自分の所属する会社とか組織、
上司にしても、だいたいどんなものかというのが
時の流れとともにわかってくる。知るようになる。
上司にしても、だいたいどんなものかというのが
時の流れとともにわかってくる。知るようになる。
文化にしても、制度にしても、
どんな状況にあるかということもわかるようになってくる。
どんな状況にあるかということもわかるようになってくる。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」
という言葉がある。
という言葉がある。
百戦危うからずなのかは、わからない。
深く知れば、もしかしたらそうなのかもしれない。
でも、その深くというのは個人差があるし、難しい。
深く知れば、もしかしたらそうなのかもしれない。
でも、その深くというのは個人差があるし、難しい。
まず、自分以外の周囲を知ることと
自分を知ることは、とても大事なことだと思う。
自分を知ることは、とても大事なことだと思う。
知れば、あまり悩んでも仕方ないという結論に至る。
今、現在、私は、競争力でしか物事を考えない。
契約をもらうのも競争力。
採用も競争力。
雇用確保も競争力。
契約をもらうのも競争力。
採用も競争力。
雇用確保も競争力。
競争力があるのか?ないのか?だけで
例えば、人事評価にしても公平がどうだとか、
正しいとか間違いとか、ほとんど関係ないと思う。
例えば、人事評価にしても公平がどうだとか、
正しいとか間違いとか、ほとんど関係ないと思う。
判断があるだけで、その判断は、
競争力を生み出すのか生み出さないのか
ただ、それだけだと思っている。
競争力を生み出すのか生み出さないのか
ただ、それだけだと思っている。
例えば、自分の評価が納得できない
間違っているとか言う人がたまにいるが、
何を根拠に間違っていると言うんだろうか?
自分が納得できないってだけだと思う。
間違っているとか言う人がたまにいるが、
何を根拠に間違っていると言うんだろうか?
自分が納得できないってだけだと思う。
上司が部下を評価して、上司の意図した結果にならないならば
間違っていたと言えるかもしれない。
間違っていたと言えるかもしれない。
評価されている自分からすれば、それは1つの判断に過ぎない。
例えば、自分に競争力がなくて、会社内の競争に負けました。
評価もされませんでしたとなるとする。
でも、別の軸で見ると、他社が競争力を見出して
転職して評価されるなんていうことも起こりうる。
評価もされませんでしたとなるとする。
でも、別の軸で見ると、他社が競争力を見出して
転職して評価されるなんていうことも起こりうる。
様々な競争の軸が社会では入り乱れている。
それを見極めないといけない。
そのために考え続けている。
それを見極めないといけない。
そのために考え続けている。
例えば、上司が、ある部下をいらないって扱いをしたならば、
その人が辞めていくとしても、それは自明の理だ。
その人が辞めていくとしても、それは自明の理だ。
他社と比べても明らかに競争力がないことを部下にしているならば、
他社に行くだけだ。
これらは、ただの判断であって正しいも間違いもない。
しかし、そういった判断をしたことについて、判断した人は、
それが招く結果を引き受けなくてはならない。
間違いとは、そうなるとは全く思っていませんでしたという
無知や勘違いによるものだ。
無知や勘違いによるものだ。
よって、知ると言うことがすごく大事なことになる。
ということで、いつも、悩んでいるというより考え続けている。
だいたい、人生が木端微塵で
生き恥をさらし続けているのに、
悩んだところで、今さら手遅れとも言える。
生き恥をさらし続けているのに、
悩んだところで、今さら手遅れとも言える。