残りの時間が少なくて、
死を意識したほうが、
本当の人生を生きられるとか、
本当に大事なことに行動を起こせるとか
考えたことが何度かあった。
死を意識したほうが、
本当の人生を生きられるとか、
本当に大事なことに行動を起こせるとか
考えたことが何度かあった。
そういう話に感化されたこともあった。
でも、これは、違うと思う。
間違っているというより、
所詮、部分的な話だ。
間違っているというより、
所詮、部分的な話だ。
人は、心も体もある程度
元気でないと、本当に大事なことなどできない。
元気でないと、本当に大事なことなどできない。
私の母が、死に直面した時に
本当にするべきことができたか?
本当にするべきことができたか?
いや、病気と闘って、
それで精一杯で、
どちらかというと、
やらなくてはならないことは、
ほぼ、完全にできないで
亡くなった。
それで精一杯で、
どちらかというと、
やらなくてはならないことは、
ほぼ、完全にできないで
亡くなった。
日々、心も体もダメージを受けて
生活という、煩わしい、大変なものは、
弱っていても依然として存在する。
生活という、煩わしい、大変なものは、
弱っていても依然として存在する。
死が近づいて、
重要なやり残したことをやり切るみたいな
映画はたくさんある。
重要なやり残したことをやり切るみたいな
映画はたくさんある。
そして、人生でもそういうことはある。
でも、部分的な話であって、
実際、病気と闘って精一杯という
人のほうが多いのではないか。
だから、元気なうちに
大事なことはしないとならない。
自分の心の持ち方だ。
大事なことはしないとならない。
自分の心の持ち方だ。