眠ったら、変な時間に目が覚めた。
昔、自分は、壮絶と言われたことがある。
壮絶という言葉の意味は調べてもらうとわかる。
今は、壮絶ではないと思う。
壮絶とは目指すものではない。
あるべき姿かと言われると違う。
僕は、モリッシーはある意味壮絶だと思う。
最近、村山聖という人が好きで
いろいろ調べたりもした。もうすぐ映画が上映される。
この人も壮絶だと思う。
私が好きな理由は、才能があるからでもなければ、
闘いに身をささげたからでもない。
根性があるからというわけでもない。
不幸な生い立ちだからということでもない。
好きな理由は、つきつめるとよくわからない。
村山聖に強く感じるのは、
自分の存在価値というものが信じられない。
病気であるがゆえに、自分に存在価値があるんだろうか?
と思ってしまう。
病院で幼いころから周囲が亡くなっていく
現実と向き合い、ああ、なってしまった。
前提条件が違うのに、いったい何を見習うのだろうか?
僕にも、この人は見習うべきだなと思うことがある。
でも、実際見習っているかは微妙だね。
この人は素晴らしい見習うべきだと仮に言ったとしても
ほとんどそうならない。
それが事実だ。
僕は壮絶な人が好きだ。
理由はわからない。
壮絶な人には、何らかの苦しみがある。
壮絶は、目指すべきものではない。
見習うべきものでもない。
また、何かを偉大で素晴らしいと思っても
皆がそうなるなんて絶対にない。
もし、そうなったら、それは、偉大から普通に変わる。
この自分にとってごく普通な考え方が
他人に伝わらない。難しい。