障害者殺傷事件は、ヘイトクライム
だと言われているし、肯定派も存在するようだ。
否定している人のコメントを聞いても
何だか感情論に聞こえる。
社会においても、教育においても、家庭においても
ちゃんと論理的にこういう考え方と
衝突せず、どこかごまかしているのが
いけないんじゃないかと思う。
役立たない人は殺したほうがいい
という論理、むしろ迷惑だから殺したほうがいいという論理を
もっともらしいとは、全く思わない。
私は、いままでの人生の中でこういう考え方に
対して何かを教わったこともないし議論した記憶もない。
こういう社会が良くないのかもしれないと思う。
率直に自分がどう考えるかだけど、
すべての人は、他人の迷惑であり、役に立たない。
特に、生まれるときと死ぬときはそうなる。
相対的な比率の問題に過ぎない。
それに対して、ある一定の閾値を設けて
殺してしまおうという考え方が、これになるわけだ。
その閾値は、今回は障害者で、別の人にとっては
生活保護を受ける人かもしれない。あるいはユダヤ人かもしれない。
あるいは、異教徒かもしれない。
例えば、それを比率にすることもできるかもしれない。
その場合、常に殺し続ける社会になってしまう。
実際に、死にたいと思い、死んだほうがマシな人も
いるかもしれない。
でも、それを他人に決められたくない。
生きたいと思っている人を、誰かが決めた閾値で
殺されるのはたまったもんじゃない。
役に立たない人は死んだほうがいいと言っている人が
どれほど役に立っているのだろうか?
その人よりも役に立っている人はいるわけで
選民主義をより厳しくするとそう言っている人も
殺される対象になるかもしれない。
どんな論理を持ってきても閾値の正しさなんていうものは
良くわからない。だから、自分より弱いものを対象にする。
障害者だって役に立っている人は実際存在する。
常に殺し続ける社会よりも、互いに協力しあい、助け合い
生きていく社会が美しい。
よって、間違っている。