映画化されるからではないのだが
少し前から、村山聖という棋士に目を向けている。
どうしてこの人の存在に気がつかなかったのだろうと思う。
1998年に亡くなっているのだが、
私はこの人から、キングクリムゾンの70年代のスターレスや
モリッシーのサウスポーグラマーと同種のものを感じる。
私はなかなか人に興味など持たないのに
ここまで注目させてしまうのがすごい。
私自身は、宗教批判の多い人間で、
クリスチャンを見ているとイエスを信じる気など失せてくる。
信じているという人間たちがしていることは醜いことばかりだ。
信じるということは一体何なのか?
イエスが今存在したら、この膨大な信じていると言っている人たちのことを
どう思うのだろうか?
信じていると言いながら行われる悪行の膨大さをどう思うのか?
まったく意味がない。
アラーを信じていることに何の意味があるのだ?
イスラム教徒などを見ていると、興味をもつこともできない。
信じるというのは意味のない虚しい言葉だ。
正しいと思うから信じるなんて最も虚しい。
信じているという証拠を人生と行動で見せてくれ。
村山聖のすごいところは、
命を懸けて人生で実行していることだ。
だから、真実だと感じる。
人間は、悲しみ苦しむために生まれてきた。
と言い切ってしまうことの恐ろしさ。
それでいて、肯定的に必死に人生を受け止めようとする
壮絶なところ。
この人の存在がもっと世界的に知られていれば
影響を受けた人は、今よりももっと多いだろう。
モリッシーやアンディパートリッジや、
ロバートフリップも必ず認めたと思う。