犠牲というのとは違う | いつも木端微塵

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ギタリスト:テリー木端の日記。この日記は、フィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
音楽的影響:King Crimson,XTC,Japan,Joy Division,The Blue Nile,
The Smiths,Morrissey ギターは、Tokai SEBレスポール木端モデル。

3公演連続キャンセル。
本当に病気なのかもしれない。
だとして、結局大丈夫なんじゃないかという
感覚もあるし、もしそれが窮地でないとして
いったいそれはいつやってくるのかと
考えてもその答えは出ない。


知っている人の多くはキャンセルを
経験している。

あまりに魂を1点に集中しているため
キャンセルと言うものの存在を
自分の中で葬ってきた。


自分がそこにいるときは、
その存在を殺してきた。


身を削り、精神を消耗して
寒い中凍えて、
あの時代は、朝5時ぐらいで
1番になっていた。


今は朝5時ぐらいのやつらがけっこういる。
ライバルは多くなった。


消耗は激しくて、
その意識も強く持っているが、
何かを得るには、
何かを失わなければならないなんて
考えない。それは結果論でしかない。


費やして当然と自分の心が思っているものを
果たして犠牲というのだろうか?
犠牲を払っているとたとえ言ったとしても
払って当然の犠牲と自分が思っているとしたら
心の奥底で確信しているとしたら
果たしてそれは犠牲なんだろうかと思うことがある。


最前列でショウが始まっても、
そこからまた、何かが起こる。
いったい今日は何が起こるんだろうと
奇跡的な瞬間をいくつも見てきて
経験してきて、自分も周囲も本人さえも
何か1点に集中していたように思う。


そしてどうしてそんなことをしていたのか
時を経て理解した。


そして、また、将来
それをする時がやってくる。