友へのメッセージ | いつも木端微塵

いつも木端微塵

ギタリスト:テリー木端の日記。この日記は、フィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
音楽的影響:King Crimson,XTC,Japan,Joy Division,The Blue Nile,
The Smiths,Morrissey ギターは、Tokai SEBレスポール木端モデル。

最前列には意味がある。


僕は説明するだけ無駄だから
というスタンスを取ってきた。
今も普通わかるわけないと思っている。


僕が過去したことと
同じようなことをこの先できるとも
思ってはいない。
あの時あの状況だからしたこと
というのが誰にでもあって
それはその人生を生きたということだ。


以前も書いたか忘れてしまったが
忘れられない日のこと。
かなり苦しかった。


2000年2月19日ボストン avalonでのこと。
何とか無理を言って休みを取り
テキサス経由でボストンに向かった。
飛行機は何時間も遅れてしまった。
雪のためだった。
テキサスは暖かくそこから
電話をしてホテルを探したが
どこも満室状態だった。雪のためである。


結局avalonについたのは、
ライブが終わってからで
ジュリアは僕のためにチケットを
壁に張っておいてくれた。
それも後から聞いた話だ。


ジュリアとはその時車の中で
少し話をしたが。。。


真夜中に雪の中に会場ついて
肝心のコンサートには行けないと言う
悲しい状況だった。


ホテルに行って満室なのはわかってるから
どこか紹介してもらえないか?と尋ねて
ホテルを紹介してもらい電話をした。
いきなり日本で言うと
終電近い時間でホテルに向かう。


電話した段階で料金を聞いていたが
ついてからふっかけられて
一生懸命交渉して電話で聞いていた
値段に下げさせて深夜0時はとっくに
まわっていてチェックインした。


靴下も濡れていて凍えていて
まずシャワーを浴びて、
そうこうしていると眠る時間は
あまりなく、まだ暗い中会場に向かった。

記憶がさだかではないが、その日は僕が最初だった。
雪の中で座り込んで並んだ。
この時はまだキューリストなんてなかった。
そういったものは発明されてなかった。
横入り上等である。


しかし、日本から来ている人間が
1人並んでいるという状況は想像できることではなくて
最前列比率は高くなった。驚かれることは多かった。


あの頃ああいう風にしている連中は鬼気迫るものがあった。
今とはちょっと違う感じもする。
僕自身の心境の変化かもしれない。


夜18時ぐらいまで並ぶのだが
will callでチケットを受け取ることになっていたが
何と開場してからしかチケットが受け取れないという
ことをセキュリティから言われて、頭に血が上り抗議した
日本から来て早朝から並んでいると説明したんだと思う
興奮をしていて何を言ったのか覚えてない。
でも相手の言葉は忘れることがない。


「it dosen't matter!」


殴り殺してやろうかと思った。しかし目的はそれじゃないので
仕方なく皆が入っていく中チケットを受け取り会場に入った。
茫然自失だった。飛行機の遅れでコンサート1日目が見られず
2日目にしてこれである。


その時、ナンシーマーシャルなどが早朝から並んでいたということを
まわりに言ってくれて結局最前列になることができた。
呼んでくれて最前列で見ることができた。
こんな風に博打をしていた。毎回が必死の賭けだった。
そのボロボロで起死回生で放心状態の中
聞いた「Tomorrow」は忘れることができない。


特に昔はきつくて、普通の人は、2列目など保つことができない
最前列が一番体力的に楽な場所だった。

それでもアザだらけになるのだが。


今は全然楽勝かもしれないが、
イギリスなどで2列目など維持するのはすごい難しい。

こんな日が続いてくと体は消耗していく。

これを全日程やっているジュリアはとんでもないと思った。

だから時として彼女も横入りをしていた。

そして失敗したりもしていた。

今はだいぶ良くなったがある種の情緒不安定を強く感じた。

とにかくおかしな経験だった。

もし、最前列になれないなら
大きくあきらめて、後ろに退くほうが体力的に楽である。
自分はひたすら最前列を目指してダメでも
2列目3列目を保ったりした。もうできないだろう。


自身の消耗を考えると最前列は死活問題にもなる。


座席指定で最前列などはゲスト用にリザーブされている
良くある話だ。たいして興味もないゲストが最前列などには
来ないほうがいいだろう。モズの場合は間違いない。
あの状況になるわけで座席指定がスタンディングになってしまう。


こういう人間たちで最前列が構成されることをモズは喜んでいたと思う。
アーティストによっては、新規リスナーにも前で見てもらいたいとか
思うこともあるかもしれないが、そういう世界じゃない。


毎日こんな風にして生きることができたら
幸せだなと当時思ったが、
時間的比率でいうと
膨大に空しいことに人生は費やされる。


なぜそんなことをするのか?
なぜなのか?という問いに
多くの連中が
because we must
と言った。


我々は何を言われても
どう思われようとも恥ずかしいと思わなかった。


わかるその感覚は。
今日あらためてこのことを書くのは
やはり一つの確信である。


つまり僕は違うと思う。
because we mustではないと思う。


人生の中での悲しい何らかの経験が
原因しているのは確実で
この言葉は届く人には届く、
日本のぼけたスミスファン、
モリッシーファンには届かない。

しかし、わかる人には届く。
これは、ほんの何人かの人たちに対する
メッセージだ。


because i need
これが最後の答えだ。