http://www.alcine-terran.com/tegami/story.html
レンタルで借りてみた。
映画は、膨大に見ているが、
最近の映画は、相対的につまらない。
面白い作品もあるが、過去のほうがもっと
心が動いた。相対的に全体的にそういう結論になる。
この原因は世の中が変わったからか自分が変わったからかと
考えたが、今は世の中が変わったからだと思う。
音楽も衝撃的といえるようなものは中々存在しない。
つまり全体的に予想がつき、言いたいことの中身はなく
eye candyのようなものが多い。
だから、ほとんど映画のことは書かない。
でも、この作品のことは書かなくてはいけないような気がしていた。
感動の名作で涙しますとか言いたいのではない。
これは、ちょっと違う。今こういう作品はあまりない。
登場人物は、予算をけちったとしか思えない少なさ。
全体的に意味が分からない部分や矛盾というか
とても信じられない部分がある。
これは、単純に映画だということ。つまり現実ではない。
タイトルを見てもストーリーを見ても
キリスト教の信仰がテーマになっている。
しかし、ちょっとやっぱり違う。
つっこみどころは山のようにある。
それでいて、この映画には確かな真実がある。
毎週日曜日、
礼拝に行くクリスチャンには存在しないかもしれない
真実がある。
この映画がハッピーエンドかはわからない。
そういう意味でもいわゆる感動の名作とは違う。
僕は個人的に人間のクズと言えるクリスチャンを知っているし、
プッシーライオットを捕まえるクリスチャンもクズだとわかっている。
彼らにこの映画が理解できるかはさだかではない。
ヤコブ牧師は目が見えなくて、
もう歳で体もそんなに動かない。
自宅にいるだけで、
手紙が来たら、目が見えないのでその手紙を
読んでもらい、祈り、返事も人に書かせて、
送るだけの生活をしている。
読んでもらい、返事を書かせるために
元終身刑の女性レイラを雇うのだけど。
ヤコブ牧師は日曜日礼拝するわけでもない。
立派な教会で説教をするわけでもない。
ぶどうジュースのかわりに寄付をもらうわけでもないし
日本人をつれて集団で海外旅行に行くこともない。
引きこもっている自宅は雨が降るといたるところで雨漏りする。
ぼろぼろの家である。
「場所を提供してくれるという話があった」というセリフは
本当かよ?と思わずにはいられない。
なぜなら手紙は来るが人は全く来ない。
郵便配達員だけ。
これは、出演者の総数の都合によると思われる。
たくさんの手紙をベッドの下にしまっている。
読んだ手紙の内容と人の名前を彼は全部覚えている。
聖書はすべて頭の中に暗記している。
お金は箪笥の缶箱の中で、困っている人がいると
あげてしまう。
食事もパンと紅茶だけ。
それ以外の食べ物はないので栄養も何もあったものではない。
結婚式を頼まれたと言って牧師がでかけるが誰も来ない。
しまいには、倒れこんで
「自分は何の役にも立たないただの老いぼれだ」という。
自分に送られてくる悩みでいっぱいの手紙だけが
唯一の生きがいなのに、それすら自分で読むこともできない。
元終身刑のレイラは自殺しようとしたり出て行こうとしたりするが
「いてくれて良かったみたいに」言う。
映画だから現実ではないし、嘘に決まっていると思うかもしれない。
でも、人生の中にはほんの数十秒、ほんの数分の間に
それは起こるかもしれない。このような嘘と考えるほうが自然な
出来事が疑いようもなく現実だと感じる瞬間が起こるかもしれない。
たとえ嘘であったとしても、
映画の中だけでもその嘘が存在していてほしい。
教会や集会でブドウジュースのかわりにお金を入れる時間があるなら
この映画をまず見たほうがいい。
ある腐れクリスチャンが昔こういうことを話していた。
おなかをすかせてお金がない人間が、我々のところに来た。
でも我々の場所はそういうことのためにあるのではない
恥気もなく平然と言っていた。
なぜ?イエスでさえ、荒野に来た人たちがおなかをすかせてないか
心配したというのに。
愛する兄弟とかいうならお金だってあげればいいと思う。
つまり偽善とご都合主義以外の何物でもない。