いいんだよ。自由に生きれば | いつも木端微塵

いつも木端微塵

ギタリスト:テリー木端の日記。この日記は、フィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
音楽的影響:King Crimson,XTC,Japan,Joy Division,The Blue Nile,
The Smiths,Morrissey ギターは、Tokai SEBレスポール木端モデル。

自分にとって物事が不利に働くとしても
意外と精神状況は良いかもしれない。


意外と将来的には、より幸せかもしれない。


ニュースを見ていると、学校でのいじめ
いじめによる自殺、教師も腐っている。
そういうのを聞くと、もう子供を学校になんて
行かせたくなくなるんじゃないだろうか。


でも、それ以上に、根本的な疑問がある。
なぜドロップアウトしないのだろうか?
なぜアウトサイダーにならないのだろうか?


そんな学校に行ったって仕方ない。
人生の中で見たらそんなのはほんのわずかな
時間の出来事だ。


いじめは、宗教と同じである。
いじめは、人種差別と同じである。


自分と違うから、自分に合わないから
といって攻撃してくる。


自分たちと違うからといっていじめをする。

それに対して、学校はこうあるべきだ。
あああるべきだと言ってくる。


行き場がなくなっていく、

だったら飛び出せばいい。


ロンドンオリンピックの印象は
どこもかしこも物価高いんだろうなに尽きるのだが
南スーダンからマラソンに出ていたマリアル選手は、
内戦の南スーダンから、

エジプトに走って逃げて、アメリカにわたり
そしてオリンピックへ出た。


こういうことの大切さを学校では教えない。


私は、反抗したし、無視をしたし、

ドロップアウトをした。
そしてそういう人間だと周囲に思われることにも慣れている。


だって、子供のころからそうだったから。

だから、侮蔑も侮辱も罵られることも慣れている。

平気を通り越して、どこか心地よくさえ感じている。

この境地まで行くのにはかなり時間がかかった。


ロンドンに初めて行ったとき、
すべての体にまとわりついた鎖が外れたように思えた。
「ああ、もっとアクセルを踏んでいいんだ」と
それをモリッシーのライブで感じた。
ぶっ殺してやるの一言で。


いじめは宗教と同じである。
そして人種差別と同じである。


2012年の川崎と1999年のロンドンを聞き比べると
明らかに差がある。


それは、危うさ、エネルギー。

モリッシーのヴォーカルも危うい。


何度も何度も聞き返してしまうような
魅力が1999年にある。


あの時、まるで、行き場のない、

心に傷を抱えた、どうしようもない
きちがいの集まり。


にもかかわらず、人間の限界を超えて
美しいと思う瞬間があった。
自分が若かったからというのもあるのかも知れない。


それから、比べると2012年みな歳をとったし、
自分の身がどうなってもいいというような
情熱が薄れている。というか亡くなっている。


自分も含めて、みな小粒でたいしたことがない。


自分の存在というのはつきつめると

学校時代もそして今でさえも
問題なのかもしれない。


しかし、私の精神状態は良いかもしれない。


私はある教師から言われたことがある。
「担任の○先生が、胃潰瘍になった原因は
君にあるのかもしれないよ」って
でも、自分を上回る人間が2人くらい
いたと思う。少なくとも1人はいた。


彼は、クラスで何かもめごとが起きた際に
過去にもブログに書いているが印象的な

言葉がある。


私は基本的に興味がないから、
そのもめごとが何だったのかは思い出せないが、
彼は、全員を敵に回し、こういった。


「間違っているのは俺じゃねえ。お前ら全員だ!」
いじめが起きているときに、
こういえる奴はいるか?


担任を胃潰瘍にしたのは、こいつに決まっている。


まったくもって日本の教育は、
こういうことの大事さを教えない。


12年前、アメリカのポートランドに置いてきた
魂を拾いに行く。


ニューヨークがsoldoutするかは知らない。
しかし、アジアの島国にいる私を強制的に
引き寄せる何かが、誰も注目しないState Theatreにある。


soldoutもしないだろう。

そして、なぜかチケット代は、3963円
自分の歴史の中で最安値だ。


行くのにはえらいお金かかるけど。


熟練者たるもの、この大穴に真実があるということを
知っている。誰もこんなことは言わないんだけど。


みんなあの頃、あそこにいた人たちは、
どうしようもなく、追い詰められた
行き場のないナイフだった。


追い詰められたナイフのような存在が
地球上で選出されて、前のほうにみな
固まっていた。

ポートランドで、雪の中に凍えながらうずくまっている

ジュリアの姿を、ああいう彼女の姿を見たことのある人は

ほとんどいないが、見たら少し考えを改める人は

いると思う。


あの頃、ああいう時間を過ごせたことが人生の宝だ。