I chose to be braved. | いつも木端微塵

いつも木端微塵

ギタリスト:テリー木端の日記。この日記は、フィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
音楽的影響:King Crimson,XTC,Japan,Joy Division,The Blue Nile,
The Smiths,Morrissey ギターは、Tokai SEBレスポール木端モデル。

ちょっと苦しんでいる。いろいろなことで。上手く表現できない。

でも自分ではどうにもならないことはあきらめることにしている。

僕が決めた事でもないし、僕がすることでもないから。


今日はリサといろいろと話した。自分の中の迷いがでていてそれが率直に表に出たようだ。

僕には歓迎できないことだ。僕は迷いたくない。


彼女も迷っていたようだ。自分の将来について。

僕に将来をきいてきたが、僕には具体的なプランは無い。彼女も無い。

彼女は英会話の教師だが、自分には何の免許も資格もないただ経験があるだけだと言っていた。よってイギリスに戻ったとしてもまた、英語圏に行くとしても仕事を見つけるのが難しいと言っていた。日本に来ると決めたとき周囲は何でそんな決断を?と疑問に持ったらしい。彼女は、退屈だからそれに行くと決めたからと言っていた。彼女は日本でもイギリスでもずっとは暮らしていくことはできないと言っている。日本で暮らしていくのは自分には難しいと言っていた。彼女は僕の質問に対してことごとく Forever?ときりかえすのである。


Forever? 


そんなこと僕は考えたこともなかった。


僕の選ぶ道は、これまで自分が選んだ道に随分と左右されるのだ。僕は今から全く別の業界など選ばない。これまでものすごい消耗をこの業界でして来た。努力してきた。でもそれが自分の可能性を狭めている。僕にはもっといろいろとできることがあるはずだ。でもだからといってnetwork engineer forever??

わからない。それが許されるのかもわからない。


他の可能性に犠牲を払って飛び出してもいいはずである。でも僕はそれをしようとしない。

不安?何にだって不安はある。今までだってそうだった。人から見たら不安としか思わないことをいくつもした。


自分が選んだことに自分自身が縛られる。多かれ少なかれ人生はそうなる。

もちろん手に入れたもののほうがはるかに多い。でも縛られる。

自分の過去を振り返って最も成果を出したとき、自分の人生で最も感動と幸福を感じたときそれは、自分のためにしたことのような気がする。それは人のためにしたことではないような気がする。すごく微妙な表現である。もちろん人のためにもなっているのだが、そもそもの動機は自分のためだったはずだ。人のためでも自分のためだったはずだ。いや自分のためだった。


しかし、会社で働くことや日々の日常の多くは誰かのためにしていることのようでもある。少なくともそういうことを絶対いくらかしている。あたりまえではある。

僕はモチベーションについて今書いている。たとえばCCIE SPを受けるがこれはなんのためだ?本当に必要かといわれると必要な理由は無いのだ。でもモチベーションは高い。だって自分のために自分でお金を払い、リスクを背負って自分のためにするのだから。苦しいし不安だし辛い。でもがんばるだろう。だって自分のことだから。


しかし、このような選択でさえも自分を縛るのだ。自分の可能性や時間いろいろなものを。何かを選ぶと言うことはそれに付随する犠牲を引き受ける覚悟があるのかと言うことだと思う。


僕はものすごい時間をかけてかなり変わったことに時間を費やしてきた。難しいのかもしれないが、このすごく変わった部分がもっとも高く評価され好かれないなら難しいということである。僕の中の普通の部分、僕はこれに本気だったわけじゃない。


そういう部分に妥協するといつか時間の流れの中でかならず行き詰まり後悔する。

将来はわからない。将来なんて聞かれても困る。


Don’t ask about the future but my aim is true


そう、aim


神よ、僕に真実の道を!


行けるところまで行ってみよう!