続々と寄せられる犠牲者たちの叫び、
犠牲者0号のnetworkerです。
今回富士の鉄拳をくらい死にかかりました。
”物事を達成する事が好きだから富士山を登ったら何か見えるかも”
に関して、犠牲者3号さんから何も見えないとコメントいただきました。
そうです。何も見えませんでした。
そしてまさしく登山とは闘いです。
頂上に登ったとき、僕らは頂上に登ったという現実があっただけでした。
霧と強風で何も見えない。
しかし、あの異空間から
都会というアスファルトの無機質な空間に戻って思うのは、
仮に、天気快晴でした。景色は美しかったです。朝日も見事で最高でした。
以上終わりというような結果を
ブログ「富士を生きる」の熱心な読者が望むだろうか?
否!
つまり、あの何も見えない試練は必要だったのだ。
必然である。
そして次の第2回「感涙富士」で前回の屈辱を晴らすのである。
映画だってかならず、トラブルや逆境を経て感動につながるのである。
名作であればあるほど逆境の度合いが強いのである。
感動が大きければ、大きいほどそこにたどり着くまでの逆境は厳しいのである。
あの苦しみの存在は次回の感動のためには必要だった。
我々、逆境富士に挑んだメンバーはその試練を引き受けなくてはならない。
我々はこれで限界だと自分で自分にキャップをしめてしまうのか?
精神力をみせなくては!スピリットが大事である。
次回は頂上で神が微笑んでくれるに違いない。
それを信じてまた闘おう!
プロの登山家であるnetworkerはこの程度でへこたれない!
行くぞーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!