今はそれほど読みたくない本を読んでいる。
技術書なので内容を理解して設定して動きを確認すると
面白いがそこまで行くのに読み込まなくちゃならないので
そもそも辛い。
英語の分厚い技術書を読んでるが辛い。
読書は普段するのか?
いや、全くしない。
まず本は読まない。
しかし、その昔十代の終わり。
僕は毎日のように読書してすごした。
読書と音楽を聴いてすごしたときがあった。
引き篭もりだった。
高校3年ぐらいからドロップアウトが始まった。
ギリギリの日数行って試験もそれなりの点数取れば
卒業できるんでしょと思って
あからさまな行動に出た。
こういうことを計算させて
やらせると僕は狡猾だった。
だから、引き篭もった。
高校3年の時から僕は哲学に傾倒した。
学校教育は僕にとって退屈で何の解決にもならなかった。
僕は哲学でも実存主義と呼ばれる分野に傾倒した。
極端な思想である。
ポストモダン、構造主義、文化人類学
全部嫌いだった。そんなものに価値を置いているなんて
頭がおかしいとさえ思っていて
ある種の憎しみさえ持っていた。
好きだった作品?
ドストエフスキー 「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」
カフカ 「城」、「断食芸人」
このあたりは死ぬほど読んだ。
哲学者では
ほとんどこの人のこの本が僕の
人間性を決定付けた。
セーレン・キェルケゴール
「死にいたる病」
すべてとても重い内容で読むのも辛い。
強烈な問いかけがあり読み手にも何らかの回答を要求してくるかのような
本だった。僕の人間性はこれらによって決まってきた。
未熟な自分なりに精一杯の答えを出して十代を終えた。
だから好きな音楽も偏っていて
JAPAN,King Crimson,The smiths,Joy Division
がメインだった。
アウトサイダー的なものが好きだった。
僕は今は引き篭もらないし、本も読まないが
時間があればニーチェやドストエフスキーで読んでないものを
読みたい。
それぞれの作品に関して僕がどのように感じ
影響をうけたかはいつか書きたい。
普段の生活を見ると今の僕にあの頃の面影はない。
しかし、本質的にはそんなに変わっていない。
ただアプローチが圧倒的に変わった。
それはいろいろと学習したからだ。
でも自分の中のスピリットはあの時決まったのだ。