萩市までの道のりも山が続きました。
足腰は相当きていて、ちょっとの上りでも、上れないにも関わらず、険しい山が迎えてくれて、フラフラになりながら自転車を押して登っていきました。
下りも後輪のタイヤが外れそうな上荷物が現在50キロ近くまでいき重い為、ママチャリが言う事を聞いてくれず、右に左にハンドルをもっていかれると言う危険な状態に陥り神経を使い、相当体力も消耗されました。
気持ち的な余裕はほぼなくなっていました。
そして体力的な余裕がなくなりきった時、フラフラがMAXになった結果、僕は倒れて溝に落ちました

ちょうどはじの所だった為とママチャリを守ろうと手をハンドルから離さなかった為、両膝を思いきしすりむきました。
特に左膝の擦り傷はすごく左足血だらけになりました

写真もとりましたが、惨すぎるのでのせません。笑
しまいにはなんでこんな最悪な事が続くんだと苛立ってきて、叫びたくなりましたが、まだ平常心は残っていたのか叫びませんでした。笑
そして、また自転車を起き上がらせ、
そんな気持ちの中進んでいると、
そういえば飲みかけの水が少しだけカバンの中にある事を思い出しました。
自転車をとめ、カバンからその水を出し、喉が乾いていたので飲みたい気持ちを抑え、両膝の血を洗い流しました。
めちゃくちゃ痛かったですが、気持ち悪さがなくなり、
気持ち的な余裕が少し回復しました

しかし、最悪な気分でいろと言われるかのように、また最悪な事が襲ってきました。
今度は何故かガラスの破片が大量に散らばった道が100mくらい続きました

そんなんで、「うわ、これパンクするかもしれない」と思っていると案の定パンクしました。
もう苛立つとかそういう次元の話ではなくなり、虚しくなりました。
結果、パンクした自転車を押し山を上り下りしていきました。
途中からは、ママチャリ二号裕次郎もこれが買い換えどきだと思っていたので、パンクした裕次郎君にのり、最後の一踏ん張り頑張ってもらいました。
そして、パンクした自転車をガタガタ言わせながら、そこからまた山を二時間くらい上り下りし、19時くらいに萩市に到着しました。
とりあえず一安心して、自転車屋さんを求め、市街のホームセンターへ行きました。
しかし、質の割り(新車なのに錆びてたりする)に高い自転車が多く、明日朝個人の自転車屋さんなどをみてから決めようとこの日は購入するのを断念しました。
そして、寝床を探しに行きました。
寝床を探し回る余裕もなかったので、市役所の駐車場にでも泊めてもらえないかと市役所にいくと、公園を進められ公園で野宿

トイレで体を洗い、テントを張った後は、三日連続の100キロはとんでもなく疲れ、ばたんきゅうで深夜一時頃眠りました

この日は今でも思い出すと萎えてくる様な、そんな心から嫌になってしまった一日でした。笑
以上です。
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