『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その146
第43回 資格と死角
今回は、今話で実朝が任じられた左大将(さたいしょう)について。
将軍職を後鳥羽上皇の皇子に譲り、自らは大御所(元将軍)として補佐していく事を決めた実朝(柿澤勇人)。その申し出に後鳥羽上皇は、実朝を左大将に任じることで応えた。左大将、正式には、左近衛府大将(さこんのえふたいしょう)。以前にも書いたが、この時代、原則として朝廷から与えられる官位と官職は相当する、つまり、官位に見合った官職に就く(逆も言える:官位相当制)。左近衛大将は、この原則で言うと従三位(じゅさんみ)相当ということになる。
(朝廷からの知らせを喜ぶ実朝)
左近衛対象は、近衛府の長官。律令には定められていない”令外の官(りょうげのかん)”だが、近衛府は、宮中を警護する機関の中の最上位。そして、左大将の相当する位の従三位は、公卿に列せられる位。つまり、律令を基本とする当時の朝廷内で政務を司る最高機関である太政官(だいじょうかん)の最高幹部として政務を担う位。
さらに、実朝の父頼朝(大泉洋)の極官は右大将、つまり右近衛大将(うこんのえたいしょう)。当時の官職は、『左』が『右』よりも上位なので、実朝はこの時点で父頼朝を超えたことになる。これは今話の中でも描かれていた。「右に出る者がいない」という言葉は、一番左が最上位なので、その右には自分を超えるような位の者がいないということ。
実朝は最終的に右大臣に任じられる。右大臣は、正二位もしくは従二位相当なので、父頼朝の極位と並ぶ。しかし、その就任を神に感謝するために鶴岡八幡宮へ拝賀した際に悲劇は起こってしまう。
果たして、この悲劇をどのように描くのか?今話を見る限り、義時(小栗旬)と義村(山本耕史)が組んで、義村は公暁(寛一郎)を父頼家の死の真相を明かすことで、実朝(柿澤勇人)と義時(小栗旬)を亡き者にするように唆し、義時は、自ら執権になろうかなとまで言い放った源仲章(生田斗真)に拝賀直前になって自分の役割を譲る。その事を知らない公暁は、義時だと思って仲章らも殺す。
(頼家の死の真相を公暁に語る義村)
後鳥羽上皇の皇子を、朝廷の人質として鎌倉殿に迎える事を考えている義時からすると、公暁も生きていては困る存在。乳母夫である義村には、何か交換条件(宿老に取り立てるとか)を出して、乳母子公暁を討ち取ることを了解させる。(今話で義村も上皇の皇子が鎌倉殿になることは了解していた。)そんな場面が、次回描かれるのではないだろうか?