『鎌倉殿の十三人』〜後追いコラム その135 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その135

第38回 時を継ぐ者

今回は、将軍実朝(柿澤勇人)と和田義盛(横田栄司)について その1

 

 ドラマの中で、悩みを抱えた実朝が、義盛の家に通っているような場面が何度か出てきた。義盛の家には、木曾義仲(青木崇高)の愛妾だった巴(ともえ:巴御前とも:秋元才加)が義盛の妻となり、実朝をもてなしている。そもそも、巴が義盛に嫁いだかどうか、はっきりしたことはわからない。さらに、巴という存在も、『平家物語』『源平盛衰記』などの”読み物”系史料の中でしか出てこないので、実在したかどうかも怪しいが、もしかしたら、”読み物”の中で豪傑武者として名を馳せた巴も、完全武装して義盛と共に登場するかもしれない。

 

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(義盛の館で歩き巫女から雪の日には外に出るなと忠告される実朝)

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(木曾義仲の愛妾として戦った巴御前)

 

 後々、義盛は、幕府に反旗を翻して一族もろとも憤死する。その時、猛将として大活躍する義盛の子朝比奈三郎義秀の母が巴だとする伝説があり、和田の乱の話を盛り上げるための前振りのようにも思えてくる。三谷幸喜の脚本に期待したい。(チョー高飛は物言いですね笑)

 

 実朝と義盛は、ドラマで描かれたような関係だったのだろうか?

 

 義盛は挙兵の前、謀反の疑いをかけられて捕われた甥胤長(たねなが)の釈放を、何度も直訴している。実朝に泣きついて「何とかしてくださいよぉ」と、実朝に詰め寄る義盛の姿が目に浮かんでくる。ドラマで描かれている二人の姿は、こうしたことへの前振りかもしれない。第40回あたりで義盛と義時(小栗旬)の関係がギクシャクして、第41回あたりで反乱を起こすような、そんな展開かもしれない。

 

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(義盛と実朝)

 

 何だか私が脚本家になったような物言いになってしまった。少し『鏡』で史実を確認してみたい。

 

 1192(建久三)年8月9日、早朝に産気づいた政子(小池栄子)は、午前10時頃、男の子を産んだ。実朝の誕生だ。この時、義盛46歳。

 

 実朝誕生に合わせて義盛は、邪気を払うための蟇目(ひきめ)の矢を空に放つ引目役(ひきめやく:蟇目役とも)を仰せつかっている。蟇目とは、鏑矢(かぶらや:合戦の火蓋を着る合図として用いられる矢)が正面から見ると蟇蛙(ひきがえる)の目に似ているというところから名付けられている。これを放つと大きな風切り音が鳴る。それを持って、邪気を払うというのである。この時、蟇目と同時に鳴弦(めいげん)も行われた。鳴弦とは、弓の弦をビヨンビヨン鳴らして邪気を払うというもの。鳴弦は、平山季重(ひらやますえしげ)と上野光範(こうずけみつのり)が行った。

 

蟇目鏑矢(ひきめかぶらや) その2 - 正直山荘_別館

(蟇目鏑矢)

 

 義盛は翌年、頼朝(大泉洋)から巻狩の達人22人の一人に選ばれたが、実朝との関係は10年ほど『鏡』には出てこない。(続く)