『鎌倉殿の十三人』〜後追いコラム その121 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その121

第33回 修禅寺

今回は「改めて善児の最期を考える』

 

 「ずっとこの時を待っていた」善児(梶原善)が刺客として育て上げた孤児トウ(山本千尋)が、善児に止めを刺す直前の台詞。そして、その言葉に頷く善児。

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第33回感想 「修善寺」は「終善児」だった!? まさかの副題回収 - MANTANWEB(まんたんウェブ)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第33回 トウの敵討ち、善児にトドメ - MANTANWEB(まんたんウェブ)

 

 今回の大河ドラマの脚本を手掛ける三谷幸喜は、善児役の梶原善に、「ぜひ、代表作にしてほしい」と言ったそうだ。これまでの大河ドラマでも史上には存在しない架空の人物が数多く出てきたが、善児ほど存在感のある架空の人物は初めてではないだろうか?こういう思いを持った時点で、観ている私は、まんまと三谷幸喜の術中にはまっているのだが・・・笑。

 

三谷幸喜さん(脚本家) | NHK放送史(動画・記事)

 

 頼家(金子大地)との斬り合いの場面。最初の一太刀で善児は頼家の左足を、頼家は善児の背中を切り付ける。傷を確認した善児の一言は「いってえぇ」。血も涙もなく、ターゲットを瞬殺してきた善児が痛みを感じた瞬間。そして、頼家と組み合った時、『一幡』の名前にハッとした瞬間、頼家に腹を刺される。自分に懐いてくれていた一幡。義時(小栗旬)に殺せと命じられた時に、「できねぇ」と一度は拒絶した善児。自分はもう歳だとおそらくは引退を考えていたに違いない善児。しかし、命令には従わざるを得ない。きっと自分の生きてきた道を恨みつつ、一幡を手にかけたに違いない善児。そして、雨が降り頻る中、腹の傷を確認しつつ、「しくじった」と声を振り絞った善児。そして、トウの言葉に頷く善児。こうして善児は人として死んでいった。

 

2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) / Twitter

(この後、善児は『一幡』の文字を見て、一瞬スキを見せる)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第33回感想 山本千尋、復讐果たしたトウ - MANTANWEB(まんたんウェブ)

(善児が討ち損じた頼家に止めを刺すトウ)

 

 トウに目を向ければ、善児に両親を殺され、その善児に刺客として育てられたトウ。きっと厳しく辛い訓練が課されきたに違いないと思う時、両親の命を奪った善児への憎しみをひた隠しにしつつ、いつか仇を討つ時が来るのを信じて耐えたに違いないトウ。そのトウに止めを刺されることを、頷いて全てを悟った善児。観ていた私の頭の中は、こんな思いとトウの成長過程、善児は、トウをどんな思いで鍛え続けたのだろうか?などながグルグル巡っていた。

 

 その時、私は「こんなに頭の中をグルグルさせる三谷幸喜はやはり凄い」と思った。

 

 こうした導きは、学校の教育現場にもあるべきではないかとも思う。元教師なので、ドラマとは全く関係のない思いを持ったことはご容赦いただきたい。これまでの教育現場では、教師が全てを与え、子供たちはそれをどう吸収消化するかが大切にされてきた。しかし、全てを与えるのではなく、『きっかけ』を子供たちに与え、そこから子供たちが何を導き出してくれるかを教師が楽しむような現場であってほしいなぁと。教師は授業の現場でイレギュラーが起こることを恐れる。恐れるあまり、生徒の意見を聞く時も『誘導尋問』のようになり、あらかじめ想定していた答えを発言した生徒が褒められる。これでは我々大人は忘れてしまった子供たちの自由で独創的で柔軟な発想力は育たない。子供たちの思考にもっと自由を与えてほしいと思う。

 

 善児の最期の場面から教育的議論になってしまった。もちろん、私とは違う思いを持った方も多かったと思う。そうした色々な考えや意見が、互いに尊重されるような世の中になってほしい(大袈裟(笑))