『鎌倉殿の十三人』〜後追いコラム その99 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』~後追い+先走りコラム その99

第23回 狩りと収穫

今回は、頼朝(大泉洋)の長女大姫(南沙良)について。

 

 このコラムその60でいつか書きますと約束した大姫。ついに大姫について書かねければならない時が来てしまった。おそらく次回第24回『変わらぬ人』で大姫は、長い間苦しんだ心の病が回復することなく逝ってしまうだろう。次回予告の中で、政子(小池栄子)が涙を流して、おそらくは病床に臥せっているであろう大姫を見る場面が映し出されたので。第24回は、源範頼(迫田孝也)と大姫の二人の終焉が描かれるはず。範頼は失脚するだけかも知れないが。

 

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(幼少期の大姫:難波ありさ)

 

 大姫の病の原因は、許嫁源義高(市川染五郎)が父頼朝によって討たれたこと。義高が討たれた当時、大姫は7歳くらい。大人の事情などは理解できるはずもなく、ましてや、自分が好きなった人を父親がその命を奪うなど、到底その小さな心で受け止め、処理することなど出来ようはずもない。ドラマの中で、頼朝は、大姫を心配する政子に、時間が経てば忘れるだろうと言ったが、大姫は、その死の時まで義高を忘れることはなかっただろう。

 

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(少女期の大姫:落井実結子:夜ドラ『カナカナ』に出演中)

 

 『鏡』で大姫を調べていくと、1184(元暦元)年4月26日に許嫁義高の謀殺をお側仕えの女官から聞いて以来、体調が優れず、頼朝、政子も邪気のお祓いをしてみたり、気晴らしに静御前(石橋静河)の舞を見せたり、藁をも掴むような気持ちで大姫の快復を祈ったが、臥せっては少し良くなり、また臥せったりの繰り返しであった。

 

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(成長した大姫:南沙良)

 

 劇中で描かれているような元気に父や兄と語らうような大姫は、『鏡』からは読み取ることはできない。父頼朝、母政子も、まさかこんなに病が長引くとは思っていなかっただろう。特に父頼朝は自らの野心と娘の病気平癒の一挙両得を狙って、娘大姫を後鳥羽天皇に入内させることを考える。そして、大姫は、父母と共に京に上る。

 

 東大寺落慶供養のためというのが表向きの上洛理由だが、頼朝は京に着くと早速、宣陽門院(※1)の母尼丹後二品(※2)を六波羅の館に招待し、娘大姫と対面させている。丹後局は、後鳥羽を天皇の位につけることを後白河に進言した女性。後鳥羽天皇からしても恩義のある人。頼朝からすれば、丹後局が大姫に良い印象を持ってくれれば、後鳥羽への入内がより現実的になるということ。大姫の病云々よりも、大姫が入内して、男子が生まれ、その子が天皇になれば、自分が天皇の外戚という名誉ある地位が得られる。頼朝にとっては、光り輝く未来がチラついていたに違いない。

 

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 しかし、頼朝の輝かしい未来は実現しなかった。京では母政子と共に石清水八幡宮を参詣するなど、寝込んだりする様子がなかった大姫だったが、同年10月15日、寝食、心身共に尋常ではなくなり、護念上人(※3)に加持祈祷を依頼した。その甲斐あって、取り憑いていた邪気は払われ、病は消えた。大喜びした頼朝は、上人に荘園を寄進したいと申し出たが、上人は断った。『鏡』は、えらいお人には、凡人の思いは及ばないと上人を評している。

 

加持祈祷(かじきとう) | 成田山 東京別院 深川不動堂

(加持祈祷)

 

 その後、1196年から1198年まで、『鏡』が欠落しているので、この間の大姫がどのようであったかはわからない。『愚管抄(ぐかんしょう)』(※4)には、1197(建久八)年7月14日の記事として「頼朝ガムスメ久クワヅライテウセニケリ」とあり、大姫が長患いの末に亡くなったと簡単にその死が伝えられている。数え年で20歳くらいだったと思われる。最愛の許嫁義高を失ってから10年以上も心身の不調に苛まれた一生だったと言える。

 

愚管抄とは - コトバンク

(『愚管抄』)

 大姫の死から36年後の1223(貞応二)年8月20日、勝長寿院で新堂の弥勒菩薩の開眼供養が行われた。頼朝は、亡き大姫の追善供養のために御堂を建てたいと思っていたのだが、その頼朝も亡くなってしまったので、なかなか実現できずにこの日になったと『鏡』は伝える。

 

 大姫は、常楽寺(鎌倉市大船)で許嫁義高と共に静に眠っている。また、大姫の念持仏(※5)は、岩船地蔵(鎌倉市扇ケ谷)に安置されている。

 

常楽寺の大姫と木曽義高の墓【北条政子ゆかりの地を散策】大船編 ...

(常楽寺にある大姫の墓:鎌倉市大船)

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(義高の墓:常楽寺)

大姫~源頼朝と北条政子の長女~生涯をかけて愛を貫いた儚くも一 ...

(大姫の念持仏が安置されている岩船寺蔵:鎌倉市扇ケ谷)

 

※1 せんようもんいん:亡き後白河法皇(西田敏行)の寵愛を一身に受けた皇女。法皇は死の

   直前に自らの膨大な荘園を彼女に譲与した。

※2 あまたんごのにほん:高階栄子(たかしなえいし:鈴木京香:この時にはすでに髪をおろ

   し、尼丹後二品と言われていたが、ドラマ的には丹後局

※3 頼朝の父義朝の弟:頼朝にとっての叔父

※4 九条(藤原)兼実(ココリコ田中直樹)の弟で天台座主(天台宗のリーダー)だった慈円

  (じえん)が著した歴史書

※5 身近に置いて毎日のように拝む仏像のこと。