『鎌倉殿の13人』~後追いじゃない先走りコラム その94
第22回 義時の生きる道
今回は、これからの展開が気になる義時(小栗旬)と比奈(堀田真由)について。
(次回『狩りと収穫』で何かに襲われそうになった比奈を義時が救う場面:何かとは、以前書いたチョー巨大な鹿かもしれない・・・:こんな風に真由ちゃんと見つめ合いたい・・・)
義時との初対面で、後妻をもらう気はないと言われ、比企の館に戻った比奈。腹いせに能員(佐藤二朗)と道(堀内敬子)に「何なんですか?」と不満をぶちまけ、さらには、「噂によるとあのお方、色恋になると相当しつこいのだそうです」とまで言い、聞いていた道も「むっつりでしょ?」と追い打ちをかける。比奈は続けて「(義時は)薄気味悪くて・・・」と。困った能員は「鎌倉殿の御指図じゃ、しばらくガマンしてくれ」となだめ、比奈も「しょうがないですねぇ」と。今話の中ではクスッとする場面であった。
(後妻はもらう気はないと言われた義時との初対面)
実はこの二人の関係は、義時の一方的な恋愛感情からスタートする。ドラマとは真逆だ。『鏡』1192(建久三)年9月25日条によると、比奈に思いを寄せる義時は、2年ほどの間、ラブレターを送り続けた。しかし、比奈はそれに応えようとしなかったとある。また、同日条には、比奈の人となりについても記されている。
比奈は幕府の女官で姫の前と言われ、比企藤内朝宗の娘で、比類のない権力(権威)を持った女性で、とても美人だった。(『鏡』同日条)比奈の父は”藤内”とあることから、藤原氏の血統で天皇に近侍する役職である内舎人(うちとねり)という役職に就いていたことがわかる。彼は、治承・寿永の内乱期、義時と共に源範頼(迫田孝也)麾下の武士として従軍していた。また、頼朝の乳母比企尼(草笛光子)の実子であった。余談だが、比企一族は男子に恵まれなかった朝宗の系統にではなく、比企尼の猶子となっていた能員に引き継がれていくことになる。
比奈は今風に言えば、官公庁に務めるバリバリの、そして美貌を誇るキャリアウーマン。一方的に思いを寄せる義時は、都勤めをしたこともない家柄で、比奈の祖母が面倒を見ていた鎌倉殿頼朝の舅(時政)の息子というだけ。比奈から「何なんですか?」と言われても仕方のない存在だったと言える。
愛のキューピッドは頼朝だった。義時が比奈に思いを寄せ続けていることを聞いた頼朝は、義時を呼び出し、「絶対離婚しません!」という誓約書を書かせ、比奈に義時の嫁になってくれと二人の間を取り持った。比奈も鎌倉殿にそこまで言われては・・・ということで二人は結ばれた。
二人の間には次男朝時、三男重時が生まれる。朝時は、時政の名越にあった館を受け継ぎ、名越流北条氏の祖となる。この名越流北条氏は、北条本家(得宗家(とくそうけ))とは事あるごとに対立していくことになる。重時は、異母兄泰時(坂口健太郎)を補佐する形で幕府の重職を歴任した。泰時が武家初の法典『御成敗式目(貞永式目)』制定(1232年)に際し、その制定の趣旨をまとめ、当時六波羅探題を務めていた重時に送った書状は教科書に載るほど有名。
(御成敗式目(貞永式目):1232年:後世の武家法に与えた影響は計り知れない)
1203(建仁三)年9月2日、病に臥せっていた二代将軍頼家は、北条時政(坂東彌十郎)と対立していた比企能員に、北条氏追討を命じる。しかし、二人の密談を障子越しに聞いていた
政子(小池栄子)は、手紙を認め、名越の館に向かっていた時政に知らせた。時政は馬をとって返して、大江広元の下に向かった。能員を討つべきではないかという時政の問いかけに対して広元は、戦については口出しを慎みたいと言った。時政の共をしていた天野遠景(とおかげ)は、「大袈裟な戦ではなく、能員を館に呼び寄せて殺しましょう」と提案する。
時政は、名越の館で頼家の病気平癒のため薬師如来を作らせていた。その開眼供養という名目で能員を呼び寄せようとした。能員の家来たちは、きっと何か企みがある、武装した者たちをお供に連れて行くべきと能員にいうが、能員は「それでは返って疑われることになる」と言って、家来二人と雑用係5人だけを連れ、武装せずに時政の下へ向かった。
能員が時政邸の門を入ると、待ち構えていた天野遠景と仁田忠常(ティモンディ高岸)は、能員の両腕を捕まえ、山裾の竹藪に引き込んで殺してしまった。能員謀殺の報を聞いた比企一族は、やがて来るであろう討伐軍に対して防戦体制を固めた。しかし、政子の指示を受けた義時・畠山重忠(中川大志)・三浦義村(山本耕史)・和田義盛(横田栄司)らの軍勢が比企一族に襲いかかり、約2時間の戦闘で比企一族は滅亡した。
(比企館跡に建つ妙本寺:神奈川県鎌倉市:境内の奥には、比企一族の墓がある)
(比企一族の墓:妙本寺)
これによって義時と比奈の関係は、妻の実家を滅ぼした夫、夫によって実家が滅ぼされた妻という破滅的な関係となった。詳細は不明だが、この後二人は離別し、比奈(姫の前)は京の源具親(ともちか:公卿の源氏)に再嫁したという。義時は、関東の豪族伊賀朝光の娘を娶る。この女性は伊賀の方と言われ、義時の死後、泰時の執権就任に対抗して、実子政村を執権にしようとする動きを見せる(伊賀氏事件)。策略は失敗に終わるが、この伊賀の方を演じるのが菊地凛子だ。これからも『鎌倉殿の13人』から目が離せない!!