『鎌倉殿の十三人』~後追いコラム その75 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』~後追いじゃなく先取りコラム その75

今回は壇の浦の戦い前夜その2

 

 とうとう「後追いじゃなく先取りコラム」になってしまった(笑)

 

 前回の続き。今回も『平家物語』で壇ノ浦の戦い前夜を私のテキトー口語訳で(笑)

 

刀剣ワールド】壇ノ浦の戦い古戦場:山口県

(壇の浦古戦場址:山口県下関市)

 

 元暦二年(1185)三月二十四日の午前六時頃、豊前国(福岡県)門司と赤間の関(下関の古名)において、義経(菅田将暉)と梶原景時(中村獅童)が、まさに同士討ちになるのではという争いがあった。梶原が申したのには、「今日の戦の先陣をこの景時にお与えください」義経は「自分がいなければな」景時は「それは良くないことです。殿は大将軍であられるので」と言い、義経は「それは異なことを。鎌倉殿(源頼朝(大泉洋))こそ大将軍だ。自分は御命令を実行する者であるので、貴殿たちと同じだ。」と言われたので、景時は先陣を所望しにくくなって、「生まれつき、この殿(義経)は、侍の主君には似つかわしくない。」と呟いた。

 

刀剣ワールド】歌川貞秀 作 「源平八島檀之浦長門國赤間関合戦之圖」(武者絵)

(「源平八島檀之浦長門國赤間関合戦之圖」:歌川貞秀:江戸時代)

 

 義経は、これを聞いて、「(景時は)日本一の愚か者だな。」と言って、太刀の柄に手をかけた。景時は、「鎌倉殿(頼朝)の他に(自分は)主君を持たないのだ。」と言って、景時も太刀の柄に手をかけた。そうこうしているうちに、景時嫡子の源太景季、次男平次景高、同三郎景家が、父景時と同じ場所に集まった。

 

 義経の様子を見て、奥州から義経に従っていた佐藤四郎兵衛忠信、伊勢三郎義盛、源八広綱、江田源三、熊井太郎、武蔵坊弁慶など、一騎当千の武士どもが、景時を中に取り囲んで、自分が(景時を)討ち取ろうと進んだ。

 

 その時、義経には三浦介(佐藤B作)が取り付いた。景時には土肥次郎(阿南健治)が掴みつき、二人は手を擦り合わせて、「大切な合戦を前にしながら、同士討ちがあったなら、平家を勢い付かせることでしょう。さらに鎌倉殿が伝え聞いたとしたら、大変なことになります。」と言ったので、義経は怒りを収めた。こういうことがあってから、景時は義経を憎み始め、ついに(頼朝に)讒言(さんげん:チクリ)して、(義経を)殺すことになったという話であった。

 

 前回その74で書いた、壇の浦の戦い以前に平家はテンションだだ下がりとなったと同時に、源氏軍内にも後々の火種は燻っていたのである。

 

 こうした状況の中、いよいよ壇の浦の戦いは始まる。(続く)