『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その68
第15回 足固めの儀式
今回は泰時誕生と八重(新垣結衣)について
今話の終盤、義時(小栗旬)と八重との間に男児が誕生。後の泰時(坂口健太郎:今話では子役)だとナレーションで紹介された。
(泰時誕生を受けてネット上では『俺たちの泰時』がトレンド入りしたようだ笑。NHKの朝ドラ『おかえりモネ』で主人公モネ(清原果耶)の恋人役菅波光太朗を演じ、そのキャラが受けて『俺たちの菅波』ハッシュタグができたことから来ているらしい)
大河ドラマで歴史上の人物等を取り上げる場合、その時代の専門家が時代考証を行う。『鎌倉殿の13人』では創価大学教授坂井孝一氏が担当している。坂井氏は今回の大河ドラマのために書いたとも言える『鎌倉殿と執権北条氏 義時はいかに朝廷を乗り越えたか』(2021年 NHK出版)を著したが、数々の状況証拠を上げられた上で、
不明な点、論証できない点は少なくないが、一つの仮説として、寿永元年(1182)、頼朝・政子が義時と八重の結婚を仲介し、翌寿永二年(1183)、泰時が誕生したと考えておきたい。(西暦年は大野が付記)
と記している。(前掲書Kindle版P.142~143)
義時と八重が夫婦となり、泰時が生まれたと言うのは、坂井氏の仮説に基づいた話。実は、武家初の法典『貞永式目(御成敗式目)』を作り上げた3代執権北条泰時の母については、さまざまな史料で「阿波局(あわのつぼね)」と記されているだけで、その他詳細なことはわからない。あと、個人的には、八重は頼朝との間に生まれた千鶴丸が父祐親(淺野和之)の命によって殺されたあと、悲嘆にくれて自らの命を絶ったと思っていたので、今話の泰時誕生のナレーションにはびっくり仰天してしまった。坂井氏の本を読んでいたのに・・・笑
坂井氏はさらに同書の中で、八重が御所勤めをした際に「阿波局」を名乗ったとし、「◯◯局」という名は、御所に仕える官女にはありふれた名で、義時の妹(劇中では実衣:宮澤エマ)がわざわざ泰時の母と同じ「阿波局」を後に名乗るのは、それが特別なもの、つまり兄義時の亡き妻であり、自分の親類(義時・政子・実衣の母は八重の姉)であった八重の大切な名前だったからだとした。
また、北条氏の全盛時代を現出した名執権泰時の母を『八重』と明示しなかったのは、子を父に殺されるという中世の人々の感覚からすると、極めて不吉な凶事を被った八重。そんな人物を母とするのを憚ったからだとした。(同書P.142)
真相は闇の中だが、坂井氏が言うように、こうした仮説を証明する史料も、否定する史料もないのだから状況証拠の積み上げと言っても、無下にはできないだろう。
(八重姫入水の地:静岡県伊豆国市眞珠院:八重はこの近くにあった「真珠ケ淵」に身を投げたと言われている)
(八重姫の供養堂:真珠院:北条義時の幟旗まで立てて盛り上がっているのに・・・)
ただ、我が子を父に殺され、悲嘆のあまりに自らの命を絶つ八重に惹かれてしまうのはなぜだろう?やはり男は悲劇のヒロインが好きなのだろうか・・・