『鎌倉殿の十三人』~後追いコラム その69 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その69

第16回 伝説の幕開け

 

今回は三浦義村(山本耕史)が八重に預けた赤子「はつ」について

 

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(この赤子は誰???)

 

 全輪最後に義時(小栗旬)と八重(新垣結衣)との間に三代執権となる泰時(後の坂口健太郎)が生まれた。その鳴き声が、「ぶえい(武衛)、ぶえい(武衛)」と聞こえるとネットがざわついた。もしや謀殺された上総介広常(佐藤浩市)の転生ではないのかとまで。広常がいつも頼朝のことを「武衛、武衛」と呼んでいて、殺される直前にも「武衛は何やってるんだ」と劇中で言っていたので。スタッフ談によると、泣き声がそのように聞こえる赤ちゃんを探したのだという。まぁ、今の技術を持ってすれば、合成して泣き声を作ることも簡単だと思うのだが、最近のNHKはなかなか侮れない(笑)

 

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(義時も泰時の鳴き声を聞いて少しビックリした顔をする)

 

 今話終盤、義経(菅田将暉)とともに出陣した義時の館に、突然、三浦義村が赤子を抱いて現れた。義村は、その子を八重の侍女に預け、戸惑う八重に生まれたばかりの金剛(泰時の幼名)の遊び相手になれるんじゃないか、と一方的に言い放って帰ってしまった。

 

 この赤子は誰なのか?そして、成長して泰時の遊び相手のなるのか?義村の娘は泰時の正室となるが、この赤子はその子なのか?様々な『?』が浮かんだのでちょっと調べてみた。

 

 義村には、男10人女7人の合わせて17人の子供がいた(驚)。今ではとても考えられない数だが、劇中でりく(宮澤りえ)が政子(小池栄子)と実衣(宮澤エマ)に言っていたように、子供、時に高貴な家の子供は、一族の更なる繁栄の道具(言葉が悪くてごめんなさい)となるので、たくさんいるに越したことはない。

 

 義村の娘の一人は、後に三代執権となる泰時の正室となっている。名を矢部禅尼(やべのぜんに)といい、泰時の嫡男時氏を産んでいる。時氏は泰時の次の四代執権となるはずだったが、六波羅探題(京都における幕府の出先機関)として在京中に病気になり、鎌倉に戻ったもの父泰時に先んじて逝ってしまった。

 

 この矢部禅尼が今話のあの義村が連れてきた赤子なのか?

 

 答えはノー。今後の番組でどうなるかは、奇想天外、何が起こるかわからないというのが番組の『うり』なので、それこそわからない。しかし、矢部禅尼は、1187(文治三)年生まれなので、今話の時代と合わない。一の谷の戦いの直前の場面だったことを考えると、合戦が行われた1184(寿永三)年2月以前の生まれだということになるので。

 

 泰時の正室となる矢部禅尼は、平家が滅んだ2年後にこの世に生を受ける。