『鎌倉殿の十三人』〜後追いコラム その42 | nettyzeroのブログ

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『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その42

第10回 根拠なき自信

 

 今回は登場人物のおさらい その1 

 

 「得体の知れないの知れない人がどんどん増えていく」と言う実衣(宮澤エマ)のように、今話は登場人物が多い。誰が誰やらという感じ。今後の話にも繋がるので、付け足しを少々。

 

宮澤エマ オフィシャル on Twitter: "実衣です☺︎" / Twitter

 まずは、頼朝(大泉洋)の父義朝と常盤御前との間に生まれた3人の子供たちから。

 

 七男幼名今若。1153年生まれ。父義朝が平治の乱で敗れた時、七歳(当時は通常数え年)。醍醐寺で出家。あまりにも乱暴だったので悪禅師といわれた。これが、全成(新納慎也)。後に、実衣を娶る。今話ではその前振りのような場面があった。

 

新納慎也(Shinya NÎRO) (@ShinyaNIRO) / Twitter

 

 ちなみに、『悪』というのは、当時は悪いという意味ではなく、憎らしいほど強いというような意味。頼朝の長兄義平はその強さから『悪源太』と言われた。

 

 八男幼名乙若。1155年生まれ。平治の乱時、五歳。園城寺(おんじょうじ:通称三井寺:滋賀県大津市)で出家。父の一字を偏諱し、義円(成河:ソンハ)と名乗る。義円は後の墨俣川の戦い(1181年:現在の長良川)で叔父源行家(杉本哲太:以仁王(木村昴)の令旨を頼朝の元に届けた)と共に平家軍と戦い討死する。二十七歳。『源平盛衰記』は、敵陣に深入りして討ち取られたと記す。『鏡』には記述がないので、義円が鎌倉の頼朝の元に行ったかは不明。今後、どのように描かれるのか楽しみだ。

 

「鎌倉殿の13人」で義円役を演じ、大河ドラマ初出演を果たす成河(C)NHK

 

 九男幼名牛若。後の源義経(菅田将暉)。1159年生まれ。平治の乱時は一歳なので、頼朝の「利発なこでなぁ。平家の者たちに囲まれる中、泣くばかりの母ごを『それでは話が通じませぬ』と励ましたあの声は今でも耳に残っておるぞ」などということは、あり得ない。劇中でも、それは全成のこととして、曖昧な記憶を得意げに話す頼朝を失笑のネタとしている。

 

3月6日 鎌倉殿の13人で『菅田将暉』が話題に! - トレンドアットTV

 

 気になるのは、佐竹の金砂城攻めの場面。和田義盛(横田栄司)がヒヨドリを捕まえて皆で盛り上がっている時、「戦ではないのかぁ」と怒声を浴びせ、策があるのかと問われると「小僧は控えていろ」と言われたといじける義経。頼朝の「話してみよ」の言葉に、金砂城の難攻不落を説く畠山重忠(中川大志)を「お前正しい」と言い、「敵の目は常に下を向いている。だから、上から攻める」と言って一同を驚かせたばかりか、兄頼朝に「見事な策である」と褒められ、嬉しそうな義経。結局、この策は佐竹と和解が成立して、実行されなかったが、後の一ノ谷の戦いでの有名な鵯越えの逆落としの前振りに違いない。ヒヨドリと思っていたのは、義円によってツグミだとわかるのだが・・・。

 

 三谷幸喜はこの場面をどのようにに回収していくのか、楽しみだ。(続く)