『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その33
第8回 いざ、鎌倉
今回は、武田信義(八嶋智人)について
何かと頼朝(大泉洋)と平家打倒の主導権を巡って対立する信義。名前からして、「おや?」っと思った方も多いだろう。武田信義の16代後の子孫があの武田信玄(晴信)である。
頼朝と信義。共に清和源氏の血筋だ。
頼朝は源氏嫡流。いわゆる本家の血筋にあたる。一方の信義は、4代前に遡れば源頼義。つまり、源氏の嫡流。しかし、信義は頼義の三男義光の4代孫になる。つまり、頼義まで遡れば頼朝と同じ頼義にあたるが、そこから別れて、頼朝は嫡流家の流れ、信義はその庶流となった。
血統から言えば、頼朝が源氏のリーダーということになるが、信義の元にも源氏の挙兵を促す以仁王の令旨が届けられていた。
また、信義は、頼朝が石橋山の戦いで敗走した後、大葉景親(國村隼)軍とも一戦を交えている。源氏の血を引くものとして、独立性を保ちつつ平家打倒の兵を挙げていたのだ。
ところで、甲斐といえば武田氏と連想する方も多いと思うが、武田の名のルーツは甲斐ではない。元々、信義の2代前の義清の時代に、常陸国(茨城県)武田郷を譲り受け、武田を名字とした。その後、所領争いが原因で甲斐国に移り住んで、甲斐源氏武田氏の流れが始まる。
信義は、次の「決戦前夜」の回で都から派遣された平維盛(これもり:清盛の孫:濱正悟:『平家物語』をして、絵に描いても及ばないと言わしめるほどのイケメン貴公子)率いる追討軍に頼朝と共に対峙する。そして、水鳥の飛び立つ音を敵軍の奇襲と思い込んで平家の軍勢が散り散りになって逃げたと言われる富士川の戦いが始まる。
(富士川:甲斐・駿河を結ぶ水運の要路:撮り鉄の一押しポイントでもあるそうだ)
どのように描かれるか分からないが、予告編を見る限り、信義が「頼朝を出し抜いてやったわい」と言っているので、事実に近い形で描かれそうだ。
大規模ではないが、信義は奇襲攻撃を仕掛けた。その時、驚いた水鳥が飛び立って、追討軍が混乱したようだ。そしてこの信義の奇襲攻撃によって、追討軍は撤退した。このことが、先述した台詞になったと推測する。
そして、この合戦の勝利に沸き立っていた時、頼朝の宿営に義経(菅田将暉)がやって来る。これもどのように描かれるか楽しみだ。
信義は、この後、治承・寿永の内乱で活躍する。
ちなみに信義は頼朝の19歳年上。役者は、八嶋が大泉の3歳年上。蛇足でした(笑)。