『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その16
第5話 兄との約束
『鏡』治承4年8月24日条に北条宗時最期の場面がある。宗時が石橋山で敗れた頼朝の元を離れた目的は不明だが、工藤茂光と一緒だったのはドラマと同じ。
宗時たちは、頼朝が身を隠した土肥椙山巌窟から、山を越えて伊豆桑原・平井郷そして冷川(ひえかわ)辺りに来た時、伊東祐親の軍勢に囲まれた。合戦の末、宗時は紀久重(きのひさしげ)が放った矢で射殺された。工藤茂光も合戦で怪我を負い、逃げるのを諦め、自害した。『鏡』にはその場所が早河辺とあるが、地理的状況から言って「ひえかわ」と「はやかわ」を取り違えたと想像する。
河原でのんびり休憩中に、祐親の下人善児(梶原善)がまるで必殺仕置人のように二人を殺すなどあり得ない!
善児役の梶原善がいわゆる三谷組で多くの作品に出演しているからと言って、これはどうなんだろう。もちろん詳細はわからないのだが、だとしたら『鏡』のような史料を参考にすべきではないかと思うのだが。まぁ、愚痴はやめよう。水曜どうでしょうの大泉洋になってしまうので笑
善児はこれからもちらほらと出てくるらしい。ちなみに二人の墓は静岡県田方郡函南町大竹に墓がある。宗時は宝篋印塔、茂光は形の崩れた五輪塔。
(真ん中が北条宗時の宝篋印塔、左が工藤茂光の五輪塔とは言えない五輪塔)
時政・義時が甲斐源氏武田信義(八嶋智人)に援軍を求めに行こうとした時、頼朝は自分が源氏の嫡流、信義に頭を下げることなどしないと激した時、側近の安達盛長に諌められ、部下に全てを任せると言った場面、実はこれも壮大な前振りと読んでいる。
石橋山敗戦から頼朝は安房に渡り、千葉氏、上総氏などを取り込み、奇跡的復活を遂げ、鎌倉に入る。
その後、平家正規軍との合戦となった富士川の戦い。水鳥が飛び立つ音を頼朝軍の奇襲攻撃と勘違いした平家軍が戦わずして逃げ帰ったとされる有名な戦い(実際は違う)だ。
この戦いに勝利した頼朝は、一気呵成に京に攻め上ろうとする。その時、千葉常胤(岡本信人)・三浦義澄(佐藤B作)・上総広常(佐藤浩市)らに関東平定が重要と諌められて思いとどまった頼朝の姿と重なるのだ。
頼朝は大将の器ではないと時政は言い放ったが、部下の意見に聞き耳を持っていたという点で単なる独裁者、臆病者ではないのだ。