『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その15
第5話 兄との約束
冒頭の堤信遠館襲撃場面。館内を探索する時政と義時。まるで赤穂浪士の吉良邸襲撃を思わせるような映像。
扉を次々と開けてはいないを繰り返し、最後に信遠を見つける。それも部屋の片隅でうずくまっている信遠を。そして時政が切りつけ、とどめを刺せない義時の代わりに駆けつけた宗時がとどめを指す。首を掻き切る時政。それを見てビビる義時。
『吾妻鏡』(以下、『鏡』と略す)では、随分と戦闘場面が異なる。
まず、堤館を襲撃したのは時政たちではない。劇中、何を言っているかわからない老将佐々木秀義の子息四兄弟(実際には3人。三男盛綱は頼朝ボディーガードとして残っていた。後に参戦するが)が時政の命を受け、堤館を襲撃する。
信遠も『鏡』では
勝れる勇士(他に抜きん出た勇士)
と評されている強者だった。
襲撃を知り信遠は自ら太刀を持って応戦。相手は源家平氏を征する最前の一箭を放った佐々木経高。経高は信遠の郎等が放った矢にあたりピンチになるが、兄弟の定綱・高綱が背後から信遠を討ち取る。
一方、時政たちは山木兼隆の館を襲撃していたが、山木の郎党たちの奮戦に手を焼いていた。『鏡』は郎等が「死を争い挑戦す」と言う。まさに決死の覚悟で北条軍と戦ったのである。
信遠を討ち取った佐々木兄弟達も駆けつけ、さらにはなかなか勝利の合図(館に放火する)が見えずイライラしていた頼朝が向かわせた3人の加勢によって、やっと山木の首を挙げる。
これが堤館、山木館襲撃の真相。
第5話を見て、大学時代から公私共にお世話になった恩師奥富敬之先生が生前お話しされたことを思い出した。奥富先生は鎌倉時代、時に鎌倉北条氏研究の第一人者で、大河ドラマ『源義経』(タッキー主演)、『北条時宗』(和泉元彌主演)の時代考証を担当された。
脚本家は無茶苦茶なことをする。面白ければそれでいいのか?
先生がよく口にされた言葉がこれ。
確かに今年の大河は「予測不可能」というのが売りのようだが、史実と異なるのはどうかと思う。宗時が殺される場面も・・・この件はその16で。お楽しみに!
ちなみに、奥富先生と共著として上梓したのが『鎌倉謎解き散歩』(中経出版:2013)