『鎌倉殿の13人』~後追いコラム その9
初めてのデートそして第四話先取り
第二話で頼朝と政子の初めてデートは三島大社。
三島大社に頼朝と政子の『腰掛石』なるものがある。大小二つの石。平家打倒祈願の際。休息した石と言われる。二つの石にはそれぞれ窪みがある。大きい頼朝の石は左右が凹み、小さい政子の石は真ん中が凹んでいる。二人とも相当なケツ圧だったようだ。まさに『豪ケツ』だ(笑)
この後、二人は激動の中でその思いを成就させていく。文字通り『激動』(その6・7参照)
ところで、第三話では二人の仲を許したように見える時政だが、実は、二人が夫婦となることには猛反対だった。それだけでなく、平家の目を憚って、伊豆国目代山木兼隆(木原勝利)に政子を嫁がせようとしていた。この山木兼隆こそ、頼朝の最初の討伐相手である。
これは先取りの内容だが、平家打倒の第一戦は、平家打倒というには小物過ぎる相手だった。その山木でさえ、頼朝には難敵だったのだ。
『吾妻鏡』は、挙兵の運試しに山木を討とうとなったと記すが、やれ占いをしたり、神頼みをしたり、挙句の果てには三島社の祭礼で飲んだくれた山木方の寝込みを襲うような奇襲攻撃。とても横綱相撲の戦いではなかった。
さらに山木の後見の堤権守信遠(のぶとお:吉見一豊)までも討とうと時政は軍を二手に分けた。頼朝と事前に軍議した策かどうかは不明。目先の災いを取り除くというのが時政の目的であった。
その信遠攻撃の際に佐々木経高が放った矢が源家平氏を征する最初の一矢であった。
この間、頼朝は自邸で山木の館から合図の火の手が上がるのを心待ちにしていた。見張りを木に登らせたりしたが、見えない。
遂に頼朝は自分の警護をしていた二人の武士をも自らの太刀を与えて援軍として送った。頼朝の身辺警護は安達盛長以外いなくなった。
二人は、乗る馬もなく、駆け足であった。二人の名は、加藤次景廉・佐々木盛綱。二人は見事山木の首をとった。信遠も佐々木定綱・高綱によって討ち取られた。
頼朝の再起初戦は、辛勝であった。この間、義時はどんな動き、思いだったのか、第四話が楽しみだ。