根付道<Netsuke Road>

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気楽にぶらぶら、根付蒐集の道を歩くブログです。

二代寿玉の象牙置物二代寿玉の象牙置物 猿が蛸に乗る

初代と二代の「寿玉」──

           大久保村から世界へ旅立った象牙彫刻の物語
 今回のオークションで、寿玉の置物が出品されていました。寿玉といえば江戸派の代表的な根付師として知られていますが、実は 初代と二代が存在する ことが分かっています。

まず初代について。
初代の記載が確認できるのは、上田令吉の根付研究と『東京名工鑑』です。初代は 龍光斎寿玉 と称し、珪玉の弟子。住所は 南豊島郡・東大久保村48番地。
制作していたのは、置物・根付・杖の持ち手・傘の持ち手・ヨーロッパ式パイプなど多岐にわたります。
初代二代寿玉 象牙彫刻物語
■ 主な依頼主
宮川長次郎(小網町一丁目)。
寿玉はしばらくの期間、宮川からの注文だけを受けて制作していたようです。弟子は1名。記載はありませんが、この弟子が二代寿玉だった可能性もあります。

 

■ 展覧会での実績
1877年の 第一回内国勧業博覧会 に「猿が蛸に乗った置物」、「ヨーロッパ式の煙管(キセル)」、を出品し、五等賞 を受賞。
 

■ 経歴
11歳で深川富吉町の 栄斎(屋号:珪玉) に弟子入りし、3年間学ぶ。
その後いったん仕事を離れ、21歳で再び象牙細工を開始。しばらくは宮川からの注文品のみを制作し、やがて仕事が安定して伸びていったようです。

■ 時代背景
明治以前は「早く名を上げる」ことが優先され、象牙細工の質が低くなることも多かった時代。しかし明治維新後、輸出向けの粗製品需要が減り、職人たちは新しい市場で生き残るために腕を競い合い、作品の質は大きく向上しました。こうした背景の中で、寿玉は珍しく情報が多く残る根付師のひとりと言えます。
新宿大久保公園周辺の地図
住所を現代で言えば 新宿6丁目・東大久保公園あたり。四谷三丁目の堤物屋さんからも近い距離です。当時は駅もない“何の変哲もない村”で、静かに彫り続ける職人だったのでしょう。
(メチャ地味目の人だったのかもしれませんね、笑)

新宿大久保公園周辺の地図

■ 今回の作品は「二代寿玉(Ryukosai Jugyoku II)」
作品説明には 「二代寿玉(Ryukosai Jugyoku II)」 とあり、初代の後を継いだ人物の作品と判断できます。

明治期になると国内で根付の需要が急速に減り、腕のある職人たちはこぞって 輸出向け象牙置物 を制作しました。
明治政府は外貨獲得のため工芸輸出を強力に推進し、象牙彫刻・七宝・蒔絵・薩摩焼などは “Japanese Fine Art” として世界中に名を馳せます。

 当然、職人たちの賃金もとても多かったでしょうから、貰ったらすぐ吉原 あたりに繰り出して散財していたのでは……と想像してしまいます。(笑)ただ寿玉は田舎の大久保村暮らしなので、真面目一徹だったのかもしれません。知らんけど…(笑)
二代寿玉の象牙置物:男性と鬼の彫刻二代寿玉の象牙彫刻置物

今回の落札価格は 1690ユーロ。
二代寿玉の置物としてはかなり安めです。
理由としては、象牙は欧米でサイテス規制が厳しく価格が下がっている、小置物は根付ほど人気がない等が挙げられます。

しかし、置物は大きさからいうと技巧の入り方が根付以上 のことが圧倒的に多く優品が多い印象です。価格と技巧が逆転する不思議な現象ですが、それだけ根付が世界的に人気だという証拠でもありますね。

とはいえ、海外オークションの価格帯で日本国内ではまず入手できません。日本では象牙人気が根強く、コレクターの引きも強いため、業者さんも強気価格で攻めてきます。
安く入手したいコレクターとしてはなんとも残念なところです。(笑)

 今回は、海外オークションに出た寿玉の置物を見て感じたことを色々と書いてみました。
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寿玉の象牙彫刻、二代寿玉の置物