ZACKeの1692は、二十四孝の郭巨(かくきょ)です。
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Lot 1692 - SHURAKU: AN IVORY NETSUKE-OKIMONO OF KAKKYO
人物根付で 鍬と釜 が出てきたら、まず間違いなく郭巨の図になります。郭巨は、中国の孝行説話集『二十四孝』に登場する人物で、貧困のため母の食を確保しようとして幼い実子を埋めようと地を掘ったところ、「天賜郭巨孝子」と刻まれた黄金の釜が現れるという超ラッキー親孝行息子とされる孝子の物語です。
現代では理解できない話ですが、古代中国ではこれが“親孝行”になるという価値観だったわけで……
そのギャップがまた面白いですね(笑)
■ 文治政治の始まりと「視覚教育」
郭巨は、根付だけでなく 寺社彫刻・浮世絵 にも頻繁に登場します。これは僕の推測ですが、背景には江戸の教育文化があったのではないでしょうか。戦国時代が終わり、家光の時代に入ると、武断政治から 文治政治 へと大きく舵が切られました。


その象徴が 日光東照宮。
東照宮の神仙図は、「平和な時代が訪れた」「これからは学問と徳を重んじる」という国家の方向性を、彫刻という“視覚メディア”で示したものと考えられます。武力の時代が終わり、徳を学び、秩序を守り、社会を安定させる という価値観が国家レベルで求められるようになった。
■ 平和が庶民に行き渡るとき
19世紀になると、寺社彫刻・根付・浮世絵はピークを迎えます。それまで武家や大寺院の装飾だった彫刻が、一般の寺社にも広く彫られるようになり、根付として庶民の腰にも提げられるようになります。
また、寺社彫刻は地域の人々が日常的に目にする “教育装置” として機能し始めます。


寺子屋では『二十四孝』が教材として使われ、寺社の胴羽目にはその物語が彫られ、庶民は日常的に「孝行」「善行」「徳」を視覚的に学ぶことが可能となります。
郭巨の「黄金の釜」は視覚的インパクトが強く、寺社彫刻にも浮世絵にも採用されやすかったのではないでしょうか。当然ながら根付も、江戸の人々が身につけて持ち歩く物語として人気を博します。
■ 江戸の教育文化が日本の民度を作った
今日の日本の民度の高さは、明治になって突然生まれたわけではなく、江戸時代の教育文化の積み重ねによるものだと思います。
江戸の識字率の高さは、教育システムが機能して庶民が文字を読み、物語を理解し、寺社彫刻や浮世絵や根付を“教科書”として受け取っていたことが、その基盤になったのでしょう。
郭巨の根付を手がかりに図柄の広がりを追うと、江戸の人々がどんな価値観を生きていたのかが自然と浮かび上がってきます。
根付って最高ですなー!!!(笑)




