根付道<Netsuke Road>

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気楽にぶらぶら、根付蒐集の道を歩くブログです。

チェスタービーティー・コレクション展 鬼退治図長恨歌絵巻と武将の図

 先日、東博で開催されていた「アイルランド・チェスター・ビーティー・コレクション」を見に行ってきました。ブロ友のメタリングさんの記事を読んで、「これは面白そうだな」と思ったのがきっかけですね。

 展示の目玉のひとつが、あの有名な『長恨歌』絵巻です。
玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を描いた物語で、豪華な彩色や宮廷の雰囲気がとても美しくて、やっぱり絵巻っていいなぁとしみじみ感じました。

長恨歌絵巻:玄宗皇帝と楊貴妃の宮廷風景
眺めていると、「これを手にしていたのは、どこかの豪商の奥方や姫君だったのかな」なんて想像がふくらんでいきます。
そんなことを考えながら見ていたら、ふと気づきました。
「あれ、こういう恋愛ものって、寺社彫刻では見たことないよね」
長恨歌絵巻:玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋
 これまでいろいろな寺社を巡ってきましたが、長恨歌の場面に出会った記憶はまったくありません。考えてみると、寺社彫刻が好むのは、
・勧善懲悪
・武勇
・教訓
・民衆へのメッセージ
といった“みんなに分かりやすい物語”なんですよね。

 これは、寺社に集まる人たちに、「こう生きよう」「こうあってほしい」という方向性を示す役割があったのだと思います。そう考えると、恋愛悲劇の長恨歌は、ちょっと場違いなのかもしれません。

 

◆ 酒呑童子は寺社彫刻の“王道”
同じ展示には酒呑童子絵巻もありました。
こちらは長恨歌とは正反対で、寺社彫刻でも金工でも根付でも大人気の題材です。
酒呑童子絵巻:鬼と戦う源頼光一行
 東博で見た金工の壺や越谷の香取神社の頼光・四天王の彫刻など、
「当時、どれだけこの物語が愛されていたんだろう」と思うほど、あちこちで見かけます。


酒呑童子退治、鬼の首を討つ頼光一行
 

 寺社彫刻だと、巨大な赤鬼、頼光一行の集団戦、酒宴からの急襲よりも、山伏姿で大江山を登っているシーンが欄間に立体化されたような作品があります。

 

酒呑童子絵巻の木彫刻:頼光、四天王

 

 さらに、この頼光の鬼退治ですが、渡辺綱の「羅生門の鬼の腕」も同じ世界観の物語となります。綱は頼光四天王のひとりで、羅生門で鬼の腕を切り落としたあの話は、のちの酒呑童子退治の前日譚や後日譚のように語られてきました。ここでは、根付が主な主役となります。巨大な腕に老婆、鬼、渡辺綱が彫られています。

 

 掌サイズの中に、緊張感・動き・物語の“瞬間”・デフォルメの面白さがぎゅっと詰まっていて、寺社彫刻と同じような美意識が感じられます。
根付師たちは、絵巻や草双紙を参考にしながら、寺社彫刻の“見せ場の作り方”を掌サイズの小さな世界に落とし込んでいたのだろうなぁと想像しちゃいますね。(笑)

 

 絵巻でも寺社彫刻でも根付でも、この二つの物語は兄弟のように扱われています。物語がいろいろな形で、工芸の世界に取り込まれ、生きていたことがよく分かります。

 

絵巻 → 寺社彫刻 → 根付  
 

と、物語が姿を変えながら少しづつ違った形で工芸の世界で受け継がれていく感じが、とても面白いです。


酒呑童子絵巻の木彫刻:頼光、四天王
根付 渡辺綱 鬼の腕</div>木彫りの根付:酒呑童子と渡辺綱鬼の腕の根付:羅生門の場面

◆ 絵巻・寺社彫刻・根付──物語は形を変えて旅をする
 今回の展示を見て改めて感じたのは、物語って、形を変えながら生き続けるんだなぁということ。

絵巻は物語を“読む”もの
寺社彫刻は物語を“祈る”もの
根付は物語を“持ち歩く”もの

それぞれ役割は違っても、頼光の鬼退治のような物語は、江戸の人々の心に深く刻まれ、さまざまな形で受け継がれてきました。
根付を手に取るたびに、その背後にある大きな文化の流れがふっと見えてくる。これが、この趣味の醍醐味なんですよって、、、コレクター目線で語っておきますね。(笑)

 

◆ アイルランド・チェスター・ビーティー・コレクションって、最高!!!!
展示を見ながら、しみじみそう思いました。
日本の物語文化が海を越えて大切に守られ、こうしてまた私たちの前に姿を見せてくれる。それだけで、なんだか胸が温かくなるコレクションでした。

御伽草子絵巻 異類異界の物語