雪里とおかまち から Sence of Wonder <from snow country TOKAMACHI city> -9ページ目

雪里とおかまち から Sence of Wonder <from snow country TOKAMACHI city>

雪里十日町市から、ちょっとした感動や気づきを綴ります

連休なので、今朝も早起きしました。
昨日は近くの蓮の写真を撮りに行きましたが、はて、蓮の花は開くときに「ぽん」と音がする、ということを思い出して、何とか音を聞きたくて今日は早起きしたのです。
…でも、残念ながら蓮の花はだいたい開ききっていました。種類によって、夜に開いたり、早朝だったりといろいろあるらしいですが、この蓮は、夜に開くタイプのようです。
それでも、昨日見た蓮と、今日の蓮はまた違ったおもむきを見せてくれました。きれいな花であることは言うまでもありませんが、やっぱり仏様の花、という感じがします。
そして、開いた花はもちろんいいのですが、つぼみもまた、仏様って感じがしていいですね。夕方、また同じ場所の蓮を見にいったら、ほとんどが花が閉じた状態になっていました。夕方になると花は閉じるんですね。これもまた発見でした。ここの蓮は、何時ころに花開くのでしょうか。
そして、じっくりと蓮の葉っぱや茎を見ていると、あちこちに「ヤゴ(トンボの幼虫)」がいました。これからトンボに変身していく前の状態です。よく見ると、羽が少し形になっていました。どのくらいの時間をかけてトンボになるのでしょう。明日にはなっているのでしょうか。

こんな観察をしているうちに、レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」を思い出しました。子ども時代に、「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けましょう、というメッセージを込めた名著です。
幸い、おそらく私のように田舎に生まれ育った人間は、こんな風な、何らかの感性を子ども時代に授かっているのではないでしょうか。川で遊んだこと、クワガタやカブトムシを採りにいったこと、田んぼやプールでミズカマキリやゲンゴロウを捕まえたこと…などなどの体験を通して、無意識のうちに驚きや不思議なことを体感しているのだと思います。
これらの感受性は、残念ながら大人になるにつれて少しずつ失われていってしまうけど、一度得た感受性は、いつか人工的なものへの中毒に対する解毒剤になってくれる、ともレイチェルカーソンは書いています。

「センス・オブ・ワンダー」を多くの人が授かって、できるだけ失わないようにして、失いそうな人に対しては呼び起こしてやることができれば、現代におこる様々な悲しい事件を未然に防ぐことが少しでもできるのではないか。そんな風に思いました。

$from 雪国とおかまち with LOVE & PEACE<from snow country TOKAMACHI city>-蓮
$from 雪国とおかまち with LOVE & PEACE<from snow country TOKAMACHI city>-やご
午前4時30分ころ、カナカナカナ…(蝉のヒグラシ)の声で目覚めた。続いて、いつもの鳥の声と、今日はトタン屋根をたたく雨の音。
平日なら聞き流す音が、休みの日の朝だと心地よく聞こえるもの。夏休みが近づいている中、午前5時ころの時刻は、早朝の少年野球を思い出す。

ipodでニュースのサイトを検索すると、中学生の自殺事件の報道が目につく。
人間の素性から、いじめは無くなることはない、と人が言っていた。悲しいかな、自分の子ども時代を考えてもあったことだし、そうなんだろうなと思う。しかし、自殺を招くようないじめは何とかなくなってほしい。

ロード・オブ・ザ・リングや、ハリーポッターは映画の世界であるが、人生はその人にとって、かけがえのない壮大な物語である。

昔のテレビトーク番組で放送された、タレントのケント・デリカット(最近、見ませんね)の子ども時代のエピソードを時々思い出すことがある。子どもの時、いじめにあっていたケントが打ちひしがれていた様子を見て、お父さんが夜明け前、早朝の森に連れて行ってくれた。薄暗い中でひっそりと待っていると、しばらくして、太陽がのぼってきた。それと同時に、森の中では鳥や動物たちが息づき始めた。そこでお父さんが言った。
「ケント、見ただろう。自然の中ではこうやって、太陽がのぼり、毎日毎日動物たちや植物が生きているんだよ…」。目の前に繰り広げられる自然の営みを見て、お父さんのその一言を聞いて、ケントは、今日も学校に行こう、そう思った…というものです。

このような体験から、救われる人生もある。
夏休みが来ると、都会から多くの子どもや若者たち(大人も)田舎に帰ってくる。ふるさとで、このケントのような体験をとおして、ちょっと元気になってくれる人が一人でも多くあってほしい。

前回のブログに書いた、大地の芸術祭の作品めぐりで活躍してくれた、関東から来ている「こへび隊」の若者たちは、平日、都会の喧噪の中で暮らし、週末になると妻有の地に来て自然の中で活動し、田舎の人たちとふれあい、そしてまた都会に帰る…日々を繰り返す。
彼らにとって、この地が癒しの場となり、本来の人間としての自分を取り戻す場になってほしいと思う。

これからいよいよ長丁場の芸術祭が始まります。こへび隊の皆さん、くれぐれも体に気をつけて暑い夏を乗り切ってください。

$from 雪国とおかまち with LOVE & PEACE<from snow country TOKAMACHI city>-ぶな葉
from 雪国とおかまち with LOVE & PEACE<from snow country TOKAMACHI city>-ハス

先日、市内の公民館主催の市民講座で、「大地の芸術祭」の作品めぐりをしてきました。会期は7月29日からなので、今年の新しい作品はまだまだ製作途中のものがほとんどですが、そんな製作風景を、地元民のメリットとして見ることができます。これが最終的にどんな作品になるのか、楽しみなものがたくさんあります。


「大地の芸術祭」は今年で5回目、始まってから12年になります。地域の活性化を目的に始まったこの一大屋外アートイベントですが、地元住民にはかなり浸透してきたとはいえ、まだまだすべての市民がこのイベントに賛同しているわけではありません。

世界的な芸術家の作品を招致することは、当然、大きなお金がかかります。アートにお金のことをとやかくいうのは野暮な話ともいえますが、過疎化が進むこの地方の中山間地にとっては、生き死にをかけた一大事業でもあるのです。もっと他にお金を使うべきではないのか、という意見も当然あります。


そんな厳しい意見も依然としてある中ですが、10年以上続けてきたことにより、一歩一歩、市民にとって浸透しつつあることは確かです。

「今回は、うちの地域も参加しよう」という声とともに、賛同してアーティストとの「協働」する範囲が、回数とともに広がっています。アート作品そのものはもちろん、国内外から訪れるお客さんを少しでも楽しんでもらおうと、いろいろな地域で様々な「おもてなし」の取り組みも広がってきました。


私が大地の芸術祭を通してこれまで感じたことの一つに、地元の再発見、ということがあります。灯台もと暗しであり、自分の住む地域には、実はすばらしい環境があります。ましてや、市町村合併により、この十日町市・津南町地域は大きな地域になりました。今まで知らなかった文化、自然がたくさんあることに気がつきました。

屋外にアート作品を設置することにより、見慣れた自然環境のよさを再発見する、ということもこの大地の芸術祭のねらいの一つです。何気ない田園風景や、あたり前の青い空、に作品がぽっかり展示されることにより、「ああ、この場所の空って、こんなに青かったんだなあ」などと気がつくことができます。


現在、東京や他の地域から、引き続き「こへび隊」といわれるボランティアスタッフ(20歳代から80歳代までの幅広い年齢層になりました)がこの地域に入り、日々汗を流しながら作品製作をしています。こういった作品制作や維持管理にかかわる人たちとの出会いが一つの楽しみです。みんな長丁場の中、がんばってくれています。そして、県外や国外から訪れるお客さんとのふれあいも楽しみです。


from 雪国とおかまち with LOVE &amp; PEACE&lt;from snow country TOKAMACHI city&gt;-芸術祭
今回の芸術祭では、どんな出会いや発見があるのか。それを夏の訪れとともに楽しみにしています。


趣味というか、生活の一部としてラジオと本が欠かせません。

テレビにくらべると、受け身で流された番組を見るのとはちがい、集中するし、場面や人のことを想像しながら聞いたり読んだりする分、内容が心に強く残る感じがします。

子どものころからラジオはよく聞いていました。かつてはオールナイトニッポンやFMの音楽放送のエアチェックなどを楽しんだ世代です。


今のラジオの楽しみ方は、インターネットを使って聞いています。普通のラジオだと、地方の田舎の場合、東京や大阪など大都市で放送している番組がなかなか聞けませんでした。でも今はインターネット上でラジオ放送が聞くことができて、大変重宝しています。雑音も入りませんし(…でも、あの雑音も実はラジオを聞くときのスパイスでしたが…)。

夜、寝るとき。朝、起きてからと毎日楽しんでいます。


そして、本。いつのころからか、本の虫(といえるかどうか、わかりませんが)になっています。ジャンルは多岐で、乱読するし、ななめ読みします。本を本屋さんにいって物色するときはわくわくします。表紙を見たり、作者で探したり、自分が期待していた以上の内容の本に出会ったときは、とてもうれしいものです。


さらに、本とラジオを両方使っての楽しみがあります。

例えば、鎌田實さん(諏訪中央病院名誉院長)の本をよく読みます。そして、ラジオのトーク番組等で鎌田先生の放送を聞きます。これが相乗効果ですごく心に残ります。

本だけだと、声の雰囲気や本人のもう少しリアルな雰囲気がちょっとわかりません。でも、ラジオで語りを聞くと、本を読むときも、その人となりの雰囲気がよく伝わります。逆に、声を聴いたあとにその人の本を読むと、より生々しく本の内容が伝わってくる感じがします。


ラジオは耳に集中するので、記憶にもよく残る気がします。最近はトーク番組や、テーマを日替わりにしたわかりやすい報道学習番組などがあり、情報としても貴重だと思います。

ミュージシャンのライブと同様、声を聴くとライブ感もあります。映像がない分、聞いて伝えようという意図が働き、テレビよりもじっくり楽しめます。


皆さんも、本はもちろん、いろいろなラジオの楽しみ方を工夫してみては…


今回添付した画像は、前回とはちがう十日町市内にあるブナ林です。ブナの木は、実にさまざまな姿を見せてくれます。雨が幹をつたって、おもしろい縞模様のブナの木々がありました。幹の肌もようも、みんな一本一本ちがいます。
from 雪国とおかまち with LOVE &amp; PEACE&lt;from snow country TOKAMACHI city&gt;-ブナの木

例によって、ずいぶん久しぶりに更新です。


いよいよこちら妻有の里(新潟県十日町市・津南町地域)は、5回目を迎える「大地の芸術祭」の開幕が近づいてきました(7月29日~9月17日)。

大地の芸術祭=真夏の里山アートの祭典、であり、汗を流しながら作品たちを見て回る、暑い夏の訪れをわくわくしながら感じています。


先日、地元で大地の芸術祭を学ぶ市民講座(とおかまち市民楽校という)に参加してきました。世界でトップクラスといわれる作家たちの現代アート作品は大いに楽しみなのですが、忘れてならないことは、このアートの祭典のねらいは、この妻有地域の活性化、にあることです。

アート作品を設置することで、作品と対照化してその場所の自然や人のよさを再発見し、作家とのワークショップや協働を通じて、自分たちの生活の中の張り合いや、自分の住む地域に自信を取り戻すこと。高齢者や子どもたちも生き生きと地域の一大イベントに参画すること。

そんな、地域に住む人たちに、何かまた一つ、新しい生きがいや希望のようなものを、今回の芸術祭で感じられる人が多く出てほしい。そう願います。


この地域の自然の恵み、に関連して、昨日、市内池谷(いけだに)という地域にあるすばらしいブナ林で、地元の小さな小学校と市内の若者たちのコラボレーションによる、ブナ林コンサートが行われました。

一生懸命練習していたであろう、小学生たちの歌声や楽器の演奏、語りが、ブナの原生林に鳥たちの声とともに響ききわたり、心が洗われました。そして、都会からこの地域に移り住んで、地域おこしの取り組みをしてくれている「地域おこし協力隊」の皆さんも、すばらしいジャズ演奏を聞かせてくれました。

大地の芸術祭の作品が、この地域の良さを再発見させてくれるように、このコンサートは、改めてこのブナ林という、すばらしい自然の恵みを感じさせてくれました。


from 雪国とおかまち with LOVE &amp; PEACE&lt;from snow country TOKAMACHI city&gt;-ブナ林コンサート

from 雪国とおかまち with LOVE &amp; PEACE&lt;from snow country TOKAMACHI city&gt;-地域おこし協力隊の演奏