間もなく東日本大震災から2年が経ちます。テレビではいろいろな視点からの震災報道番組が放送されています。簡単には被災地のことを語れませんが、改めて亡くなった人々のご冥福と、被災地に暮らす人たちの一日も早い生活の復旧・復興を祈ります。
さて、時間の経過について、たまに思うことがあります。
年単位で時間を振り返ると、一年前のあの時に、違うはずなんだけと同じ(と思える)日に、一周して戻ってきたようなとらえ方を、私たち人間はしますよね。
時間は決してもどることがなく、一方通行に進んでいるのに、〇〇周年、といって過ぎ去った日に、また戻ってきたような考え方をすることが、時々、不思議に思います。誕生日などの記念日がそうですね。同じ日は二度とないのに、かつてのあの日に戻ったような、そんな感覚。人間ならではの感覚なんでしょうか。
一方で、時間単位で考えると、1時間前のことを振り返って、「1時間記念」、というようなことは考えないものです。時間が過ぎると、「1時間前はあの場所にいたのに、今はこんな場所にいる」というように、いる場所の違いについては考えますね。これも、当たり前といえば当たり前なんだけど、人間ならではのとらえ方なんでしょうか。
震災から2年が経ちますが、「何か役に立つことはないか」とか、「こんな暮らしをしていていいんだろうか」などと、テレビの報道番組を見ていて、ふと苛まれる感じがあります。
また、震災のことに限らず、疲れていて何となく一日、ぼーっと過ごした日にも、「ああ、もったいない一日を過ごしてしまった」と自己嫌悪におちいることがあります。
何となく、昨日よりは充実したと思える今日を過ごさないといけない、ように思ってしまうことが多くあります。
それはもしかして、企業が昨年度比較でプラス成長していないとヤバイ、としか評価されないような、後戻りすることは悪いと評価されてしまうような、現代のプラス思考の暮らしぶりを象徴しているような気がします。
そんな風に自分を過少評価してしまって、疲れてしまうことがあります。
被災地の暮らしは、1日後でも数年後でも、今より少しずつ良くなってほしいとは当然思うのですが、私という一人の人間としての暮らしの中では、「とりあえず今日は何とか一日過ごすことができた」という当たり前のことを、もっと大切に感じたい。そんな気がしました。
寝る前になると、ペットの犬の『ハル』に、「お前も今日も一日、何とか生きて暮らしたねえ」と声をかけるようにしています。
