図書館に行って、どこにあるかわからない関連する本を時間をかけて探し、何とか読んで、論文を書く、ような時代ではないらしい。
ネットで新聞を読む時は、ピンポイントで一つ一つの記事を拾って読む。
紙の新聞を読む時は、読みたいと思う記事のほかに、回りにあるいろいろな記事の見出しや文章が目に入ってくる。
小学校の帰り道、寄り道、道くさは当たり前だった。ミニスキー(プラスチックの短いスキー)に乗って坂道を帰ったり、雨の日には葉っぱや木の棒なんかで船(らしきもの)に見立て、道の端にできる雨水の川でレースを楽しみながら帰ったりした。教室とは違う友達とのコミュニケーションの場が道くさの中にあった。
今は、安全に家までたどり着くために、ボランティアの見守りの人と一緒に、まっすぐに帰ることになる(もちろん見守りボランティアの活動を否定しているわけではありません。そんな物騒な世の中になってしまったのですね。田舎の町でさえ…)。
スピード、短期的な成果、数字的な評価、とにかく効率的に…が企業社会でも学校社会でも求められていて、気が付けば、本当に世知辛い社会になったなあと思う。
時間がかかるもの、ムダのような時間、目的がない行動…。
そんな「ムダな」時間や場所には、実はとても大切なものがたくさん詰まっているような気がするのだが。







