暑い夏 旧盆もあり今日から本格的な帰省ラッシュらしい。

毎年お盆の時期に帰省して、故郷に帰る人が多いのであるが、今年は東日大震災と福島原子力発電所の

事故の影響で、私も帰省は見合わせてしまった。

ちなみに私の故郷は30km圏内ではないが、数キロ先が計画的避難地域に指定されている。

幸いなことに、放射線の影響は、モニタリングポストの値をみると、隣接する郡山市や、福島市よりは

低い値ではあるが、それでも通常の数値の10倍程度で推移しているみたいである。

未曾有の大震災で一瞬にして家や家族を失った人たちもたくさんおり、亡くなった方々の

ご冥福を祈りたい。


残された人たちも震災復興に向けて立ち上がろうとしているが、やっと震災関連の国の支援が

可能な基盤となる法律も可決されたことから、震災から5か月たちこれからまさに復興プログラムが

順次開始されてゆくのだろう。

しかし原子力発電の事故に関しては、その補償問題や、まったく震災の被害にあわない地域までもが

影響を受け、今なを自宅に戻れず避難生活をよぎなくされている方々も多く、今後の東電の対応や

原発事故のの終息に向けて注目してゆかなければならない。


毎年終戦祈念日の8月15日近くになると、先の大戦に関連するテレビ報道や、ドラマ放映などが

画面をにぎわしている。


インターネットの映画にて、「男たちの大和」という、戦艦大和を題材にした2005年に作製された

映画を観たが、15~16歳の少年兵も含めて大きな犠牲の上に、今の私たちの生活が成り立って

いることは忘れてはならないと思った。特に劇中のセリフで、日本は過去の歴史を振り返っても

何回も失敗してきており、今その失敗をしないと新しい日本の再生はなく、そのために戦艦大和

含め俺たちはその先駆けとして死んでゆくのだといった趣旨のセリフが心に強く残った。


無駄死にと思いながら戦った人たち、残った家族を救いたいために戦う人たちなどの人間像

が描写されていたのであるが、現実にその時にいた人たちは実際どんな思いだったのだろうと

思うと、それは私の想像の域をでないが、実家の裏山には、現在でも戦時中の防空壕がのこって

おり、小さいときはその中にはいって遊んだ記憶と映画の状況を重ねると無念であっただろうとの

思いが募るばかりである。