今日の朝日新聞朝刊によると、
日本原子力発電の浜田康男社長は、11日、
福井県の敦賀原発1,2号機と茨城県の東海第二原発の3基について、
原子力規制委員会への再稼働申請を目指す意向を表明した。

敦賀2号機は、規制委員会が5月に原子炉建屋直下に活断層があると断定するなど、いずれも再稼働は見通せない。

そんな事情の中でも、日本原子力発電は、原発専業の企業。
3基を廃炉にすると経営が成り立たないため、再稼働に向けた準備を進める。
ちなみに、3基とも廃炉を決めれば、合わせて約2600億円もの損失になる。
その場合、純資産の約1600億円では損失をまかなえず「債務超過」に陥ってしまう。

企業(団体)というものは、所詮会社の経営を守るもの...という印象は、昨今の社会の流れを考えると逆行しているかのように思わるが、
国民や世論の感情を無視し、自らの利益を追求してしまう。
その世論が例え過少であっても、その人々のメッセージは絶対にリアルであり。
また経営の事情の中にいる人々(社員・関係者)のメッセージもそれはリアルなのではあるが。
お互いが指し向えて、それぞれの発想や事情を発しあっても、
やはり行司が存在しない実状では、なにも決定するはずがない。
それなら、権力のある方が、強硬すればいい。というのは違う。
なんかこの流れがどうも私は苦手なんだなぁ~

日本原子力発電は、敦賀2号機直下を走る断層について「活断層ではない」という調査報告書をまとめ、規制委員会に提出。活断層という判断を見直すように要求した。
しかし、規制委員会が活断層という判断を変えなければ、再稼働を申請しても認められない可能性が高い。
規制委員会は、日本原子力発電に対し、活断層が動いた場合に使用済み核燃料に対し、活断層が動いた場合に使用済み核燃料にどのような影響があるかを7月末までに報告するように命じている。
それに対し、浜田社長は、強硬の姿勢を変えず、近く行政不服審査法にもとづいて異議申し立てをする考えを示した。
行政訴訟に持ち込むと、裁判で時間を稼ぎ、廃炉などの判断を先延ばしもできる。

そんな中で、福井県敦賀市の河瀬一治市長は、活断層があると断定した規制委員会に対し、
「再度会合を開き、予断を持たず慎重に審議していただきたい」と審議のやり直しを求めるコメントを出した。
また規制委員会のメンバーの専門分野が偏っていることも指摘。
「より幅広い分野の専門家を審議に参加させるなど抜本的改善を図ってほしい」と注文をつけた。

そんな状況でもあくまで浜田社長は、「準備が完了したら申請したい」と...
運転開始から40年を超えている敦賀1号機、地元の茨城県東海村が再稼働に反対している東海第二も「再稼働を目指す」と述べ、保有する3基すべての申請準備を進める考えを示した。

それに対して、東海村の村上達也村長は「地元無視もいいところだ」と不快感をあらわにした。
東海第二原発が、6月中旬にフィルター付きベントと防潮堤の工事が始まったことに、
「説明もなく、再稼働前提の工事に一方的に着手した」と日本原子力発電に抗議したばかり。
「浜田社長は自ら村に来て説明したこともない。地元の理解を得ようとする意思が見られない」と厳しく批判。

日本原子力発電は、4月に約1000億円の借金返済が迫り、電力業界に保証をしてもらって借り換えた。
浜田社長は「各社に影響が及ぶ」と述べ、規制委員会と徹底抗戦する構えをみせている。

電力業界が再稼働にこだわる背景には、廃炉を促すための政府の取り組みの遅れもある。
経済産業省は、電力会社が廃炉に踏み切りやすいように廃炉の損失を長期間にかけて処理できるようにする方針。
しかし、廃炉費用を補助したり電力会社の経営難に対応したりする議論は進まず、電力業界の背中を押すだけの力はない。

となったら、企業は、自らで建て直すことを考えるわけで、結局は政府の対応の遅さが、問題なのであろう。

直接影響がないという幻想が蔓延る私達のような大阪という距離のある街で日常を過ごす人間にとっては、まさに他人事と思わせてしまうことなのかもしれない。
しかし、まだこんな状況?と想わせるようなことが毎日メデイアから情報として発信されているという事実は、その奥に潜むリアルな状況が山ほど発生しているということを連想してしまう。
それが、後になって噴き出すように露呈されていくことがまず恐怖なので、
今起きている現状を今の内に、後手にならず政府には積極的に対応してもらいたいと思う。
選挙で忙しい。各政党としては大きな勝負が待っている。
しかしそんな中でも人々の日常は動いている。
ということは、政府も稼働している(当然)。
ならば、選挙活動のさなかであろうが、しっかりとこういった事実、国の大問題を、速やかに対応して、
政府には、権利・権力・名誉よりも、本当の意味での国民一人一人の未来へ向けての平和を追求していってもらいたいものだ。