今朝の朝日新聞を読んでみた。

政治的なこと、剥き出しの経済など、
正直あまり興味がないんだけれど。

この国日本で生れて、後1年で50年になろうとする今。
果たして、この生れてから50年の日本というのは、満足いくものであったのか?
この国日本はどういう国なのか?って考えてしまう。

そこで、文化学園大学助教授の白井聡氏の記事を発見。
彼は「永続敗戦」を提起している、無かったことにしている日本の現在を鋭く斬る研究家。

白井助教授の思考の中から、戦後68年目の夏。歴史認識の様々な意見について考えてみる。

「遺産には資産と負債がある。戦争に直接責任がない世代も戦後の平和と繁栄を享受しているんだから、負の遺産も引き受けなさいと。しかし今、繁栄は刻一刻と失われ、早晩、遺産は借金だけになるだろう。だったら相続放棄だ、という声が高まっています。」

私は、戦後19年たって生れて、世の中は成長への真っただ中。
ただ日本の繁栄のみを洗脳されているかのように感じとってきた。
しかし、情報が過多になり、知りたくもないようなことまで、知ってしまう。
外壁が剥き出しになったら、やっぱり鉄筋じゃなく古い木材じゃん!といったバレバレの日本の繁栄を感じ、今さらながらジタバタしてしまっている感じが否めない。
それは自分自身・個としてもそうだが、やはり大きな意味で政治・国家が象徴的なように思える。

「自らを容認し支えてくれるアメリカに対しては臣従し、侵略した近隣諸国との友好関係はカネで買うことによって、平和と繁栄を享受してきた時代です。敗戦を『なかったこと』にしていることが、今もなお日本政治や社会のありようを規定している。私はこれを、『永続敗戦』と呼んでいます。」

日本に常に貸される"戦争責任"。戦後もう68年がたとうとしている。
なのに、少なくともここ10年くらいに絞ってみても、前進や進化が実感できません。
それは何故なのか、どういう事情があるのか?
私達、一国民には、知る権利はあるのに、伝わってはきません。

「古い話です。しかし、この話がずっと新しいままであり続けたことこそが、戦後の本質です。敗戦国であることは端的な事実であり、日本人の主観的次元では動かせません。」

「戦争責任問題は第一義的には対外問題ではありません。対内的な戦争責任があいまい化されたからこそ、対外的な処理もおかしなことになったのです。」

このあいまい化こそがすべての負の繰り返しの元なのだろう。
自分たちに日常の生活の中でも普通に起きていること。
これだけは避けようと思っても、人間なんだから後回しにしたいことがある。
しかし、それが国家単位だと、すごいスピードで次から次へ。
埋もれていくものが、このような最重要なものでは絶対にいけないのだ。
なのに...それが人間なんだろう。何度も言うけれど...

「アメリカにしてみれば、俺達が主導した対日戦後処理にケチをつけるのか、お前らは敗戦国だろうと。『価値を共有する対等な同盟関係』は、日本側の勝手な思い込みに過ぎなかった。対米従属が危うくなっているということは、端的に『戦後の終わり』を意味します。」

こんな時だからこそ、日本という国が、独立してどのような政治ができるのか、
どういう未来を築けるのか、国際化、グローバルなんて語られているけれど。
対応することは、見せかけだけで、本当に国の思惑とともに進行しているのか、疑問もある。

「日本人が英語が下手なのは、言うべき事柄がないからですよ。独立して在るとは『言うべき言葉』を持つことにほかならない。しかし敗戦をなかったことにし、アメリカの言うなりに動いていればいいというレジームで生きている限り、自分の言葉など必要ありません。グローバル化の時代だと言われれば、国家にとって言語とは何かについて深く考察するでもなく、英語だ、グロ-バル人材だと飛びつく。敗戦の事実すらなかったことにしているこの国には、思考の基盤がありません」

「ドイツだって『俺たちだけが悪いのか』とそりゃあ内心言いたいでしょう。でもそれをぐっとこらえてきたからこそ、彼らは発言できるし、聞いてもらえるのです」

日本の現状。起きてしまっていることを考えると、このグローバルの吐き違いを、振り返り、
歴史的事実を知った上で、もう一度国民としてのアイデンティティを正すべきなのだろう。

「言うべきことがないことと、『仕方ない』で何事もやり過ごす日本人の精神風土は関係しているのでしょう。焦土から奇跡の復興を遂げて経済大国になったという国民的物語においては、戦争が天災のようなものとして捉えています。福島第一原発事故についても、いっときは社会が脱原発の方向へと動いたように見えましたが、2年が経ち、またぞろ『仕方ない』という気分が広がっている。」

「『仕方ない』で万事をやり過ごそうとする、私達の知的・倫理的怠惰が、こういう恥ずかしい状況を生んでいる。恥の中に生き続けることを拒否すべきです。それが自分の言葉をもつということでもあります。」

人間は、この知的・倫理的怠惰を積み上げて、負の塊を創り上げてしまう。
それがどんどん膨らんで固まって、もう手がつけられなくなる寸前で「たいへんなことになりました」と論議検討をする。
それが、人間一人一人という個のもっとも大きな集合体、国家・政府が、なし崩し的にやってしまう。
さらにそれを『仕方ない』で、最後は頭を下げれば許してもらえるという安易さ。
そういったことが平気にメデイアを通して、フィルターを掛けた表面だけが同じように伝わってくる。知りたくもないし、見たくもない。
知りたい見たいのは、その内側にあるものなのに...

そういう大人のカッコ悪い生き様はもう拒否して、ここはしっかり自分の言葉を持って、残りの人生を速やかに変革すべきだなぁ~。なんて熱くなった。

わかりやすく日本というこの悩ましくてだらしない国家をリアルに感じることを導いて下さった白井聡助教授に感謝。
しかし、私より13歳も歳が下か...しっかりしているなぁ~(笑)なんて。