保育士は発達障害児を嫌がっているのか?
私の息子は3歳でADHD(注意欠陥多動性障害)と診断されました。表面の可愛らしさとは裏腹に外出時はとても苦労したものです。そのせいでどこの幼稚園にも拒否され、なんとか保育園に入園させてもらうことができました。しかし、入園式早々から騒動を起こし、園生活では日々トラブルが絶えなかったと聞きます。そのため保育園に対して申し訳ない気持ちがいっぱいで、内心「先生は嫌がっているんだろうなぁ」と卑屈な思いをしていたものです。保育園に預けることに引け目を感じていました。それから数十年が経ち、まさか自分が保育園に勤務することになろうとは思いもよりませんでした。そして、保育士の本音を知ってしまったのです……。
今まで数カ所の保育園を見てきたが、やはりどこにでも発達障害と思われる子はいた。我が子のときはあまり知られていなかったこの症状も、令和の今は発達障害と思しき子を見かけることがさほど珍しいものではなくなった。
増えているというよりは、今まで「手間のかかる子」と言われていた子どもまでもが、発達障害という言葉で括られ広く知られるようになったからだろう。
そうして様々な症状の発達障害児を多く見てきたが、自分の子どもより手が掛かる子がいたりして「うちはまだ良い方だったのかも」と思ったりもした。
<保育士の反応>
正直なところ保育士は面倒くさいと思っていたはず。ただし「大変だ」とは口にするものの、嫌ったりほったらかしにするようなことはない。黙々と世話をし続ける。そこのところはプロだ。
中には自分から積極的に世話を買ってでる者もいる。それは老若男女変わらず、子ども好きという性格がそうさせるのだろう。しかし、他の業務が溜まっているときや急いでいるときに手間を掛けさせられると焦りの表情が自然と顔に出る。
私が携わった園では、どこも怒鳴ったり突き放したりするような保育士を見たことはなかったが、人は万能ではないので他の園ではどうだか分からない。
<子どもより親が面倒>
保護者は我が子の園での生活が気になって仕方ない。トラブルを起こしていないか、先生を怒らせていないか、友だちと揉めていないか等。そして、どんな生活の変化が起きたのかも気になる。
一番知りたいのは成長だ。問題点が改善されてどんな成長を見せてくれたのか、発達障害と呼ばれる問題行動がどのくらい改善されたのかを、連絡帳や担任からの言葉で知りたがる。
子どもが成長というか進歩の証を見せてくれたときは、担任だけでなく関わったすべての保育士が嬉しそうに報告してくれる。
「今日はこういうことができましたよ」「友だちと仲良く遊べましたよ」「紙芝居をじっと見ていられましたよ」……報告する保育士も報告を受ける保護者も嬉しいものだ。
保育士は子どもの改善を焦ってはいない。意外に余裕を持って構えている。焦ってもどうにもならないと分かっているからだ。
だが、保護者の中には保育園をあてにして頼り過ぎる者がいる。何かあるたびに「どうしたらいいですか?」としつこく食い下がるのである。保育士は気長に構えているので、保護者の急ぎ過ぎる回答の求めに即答できない。希望的観測や無責任なことは言えないからだ。
保護者の気持ちは分かる。頼りたい気持ちは分かる。私も当事者だったから。だが、頼り過ぎるのは良くない。節度をわきまえる必要がある。
保護者にとっては気が気でない大切な問題なので、若い保育者ではなくベテランの園長先生に相談することも多い。最初こそ園長先生も親身になって相談に乗ってくれるが、あまりにしつこい面談は辟易とさせられる。
園長先生の業務は多忙を極める。その中において、一人のために毎日時間を割いていたのでは業務が差し支えてしまうからだ。前回も述べたが、このときの園長先生は居留守を使って保護者と会わないようにする事態に発展してしまったことも……。しかし、これは仕方のないことだと思う。
このしつこい保護者は、ついには私にも面談を求めてきた。私の子がADHDであったことを他の保育士から知り、「どんな苦労があったのか?」「成人になるまでにどうやって改善したのか?」を聞きたかったのだという。
あいにく私はその園を直後に去ってしまったこともあり、会って話をすることはなかったが……。
<保育士の本音は?>
私としては、我が子と同じような行動をする子どもを見たところで特に何とも思わなかった。しかし、若い保育士や我が子が普通だったベテランパート保育士は、先述した通り「大変だ」「面倒だ」というのが本音としてあった。
そんな状況を見ているからこそ、保育園に勤務し始めた頃の私は「あの時の我が子もこういうふうに思われていたんだな」と落ち込んだものだ。同時に、当時の保育士たちに詫びる気持ちでいっぱいだった。
しかし、自分が保育者として長く保育園にいて、多くの発達障害児と接することで、保育士の気持ちというのが分かってきた。
確かに当時は世話をするのが大変だった。しかし、その子が卒園すると普通の思い出になっているのである。誰一人として愚痴を言う者はいなかった。不満を口にする者もいなかった。
「大変だったよね」「卒園するまでに変わったよね」「小学校では上手くいってるかな」
そんなことを語り合いながら懐かしがっていた。苦労させられたからこそ思い出が強く残ったのであり、何よりも卒園するときには成長(進歩・改善)していて大変さが緩和されていたからだ。
誰も文句を言う人はいない。誰も悪く言う人はいない。それが保育士というもの。
ADHDの我が子を保育園に預け、自らが保育者として発達障害児と接し、その子らと関わってきた多くの保育士たちを見てきた私だからこそ分かるのだと思っている。
手間のかかる子どもを預けることに保護者は引け目を感じる必要なんてない。誠意をもって「今日もお願いします」「今日もありがとうございました」と言うだけで、保育士たちの努力は報われるのである。
注:ただし、これはまともな保育園での話。不適切保育をする保育園や保育士には当てはまらない。だから、我が子に発達障害が疑われる場合、園選びは慎重にすることが望まれる。

