昭和の夫婦は夫が主となって働き、妻が家事と育児を担うというのが典型的だった。では、その逆はあるのか?
<定職に就けない夫と高収入の妻>
保育園で働く男性保育士Kさんは45歳で資格を取った。それまでは日本テレビでADをやっていたり、商社で海外に行ったりと様々な職業を転々としている。同じ仕事が長続きしないタイプだ。
本人にとってはやりたいことをやり、ひとつの職業では経験できない多くの貴重な体験ができて有意義だったはず。ただしそれは独身時代ならいいが、結婚するとそうもいかない。たいていは不安定な生活から奥さんに呆れられ離婚されてしまうのがオチだ。
だが、Kさんは35歳で結婚しており、その後も職業を転々としている。しかも、呆れられるどころか今でも仲睦まじいという。それは二人の生活スタイルが上手く噛み合っているからだった。
奥さんは大手保険会社に就職後セールスレディとして頭角を現し、現在は役職についている身分。当然、新人保育士であるKさんの給料とは格段の差がある。奥さんはとにかく今の仕事が好きで、定年まで現在の会社にいたいのだという。だから、Kさんが職業を変わっても気にならないのだ。
家事について見てみると、Kさんは料理が得意で洗濯も掃除も好んでやる。結婚後もずっとKさんが作っているそうだ。一方奥さんは料理が全くの苦手で家事全般がずぼらなのだという。
つまり、奥さんが稼ぎ頭となり、旦那が家事をやるという、いわゆる逆転夫婦なのである。
そんな二人の共通の趣味は夜の晩酌で、外に飲みに行くことも度々ある。そして、子どもが要らないという点でも合致している。
昭和の典型的な夫婦とは立場が逆転しているが、これはこれで家庭が上手くいっているパターンだ。お互いが好きなことや得意なことをやれて、苦手なことをカバーし合えて生活を維持できている。このことに男女の区別はなく、ある意味理想の夫婦像と言えなくもない。
Kさんは今春4年続けた保育士を辞めて違う職に就くという。奥さんに生活の基盤があるからまたしても好きなことがやれるのだ。世間は45にもなって転職を繰り返すKさんを冷ややかに見るが本人は苦にしていない。妻がそれでいいのなら、生活苦でないのなら、それにより仲良し夫婦でいられるのなら良しとしようではないか。
<適応障害で就職できない甥っ子の行く末>
甥っ子は30歳を過ぎてもフリーターのまま。大学卒業後に就職はしたのだが、どこも長続きせず1年弱で辞めてしまうのである。原因はどの職場でも必ず虐めに遭うのだという。それを聞いて最初は同情こそしたものの、のちに虐めに遭う原因は甥っ子本人にあることがわかった。
適応障害だったのである。同じミスを繰り返す、ミスをしてもごまかそうとする、報連相をしない。つまり虐めではなく煙たがられていたのである。どこへ行っても社会不適合者の烙印を押されて、その都度傷ついている。
普段の本人は礼儀正しく、性格が明るく誰に対しても優しく、記憶力も良く、手先が器用なので工作や料理が得意。ただ組織に入ると脳内に適応障害が発令されてしまうのである。
そのため就職することを恐れ、20代後半からはフリーターとしてしか働けていない。このままでは一生結婚もできず、収入もままならないのは確実。
そこで私は甥っ子にこんな提案をした。家事が苦手で、手に職を持った収入のいい女性と結婚したらどうかと。おまえは『主夫』になれと。
優しい性格は人に好かれる最大の長所だ。
甥っ子のそれは特に弱者に対して発揮され、家族が病気になった時は精一杯看病し、祖母が介護を受けるようになってからはよく援助をしていた。子どもの頃から困っている人がいればなんとか助けようと奔走する。その優しさを発揮する力は、定職に就けないこと以外、人として問題はないのだ。
だったら仕事が大好きで家事をやる余裕のない女社長とでも結婚して主夫になればいい。
幸い、料理好きの祖母と一緒に小学生の頃から台所に立っていたこともあり、料理は趣味のひとつとなっていた。お菓子作りも得意で、バレンタインには自分がチョコを作ってモテない男たちにあげていたほどだ。また、子どもに優しい一面があり、慕われもしていた。大人との接触は苦手でも子どもには親しまれる存在なのだ。
だからこそキャリアウーマンの主夫として生きていけばいい。料理を中心とした家事ができるし、子育ても問題なくこなせるだろう。
逆転夫婦になればいいのだ。それで夫婦が上手くいくなら従来の形にこだわる必要はない。「仕事ができない男はダメ、家事や育児ができない女はダメ」という古い考えに捉われる必要はない。お互いが補い合うことができればいい夫婦は成立するのである。
男女は凹凸の仲。心も下半身も生活スタイルも上手く噛み合えば最高のカップルでいられる。