生きてりゃ楽しい事もあるって!

生きてりゃ楽しい事もあるって!

騙されやすく恋愛も浮気されてばかり…死んだら楽かなと思った事も
ある。でも人生をふり返ると「面白く感動した体験」の方が多い事に
気づいた。おかげで今は「生きてば楽しいこともある」と思う毎日。
ここでは人生の体験を通じて考えさせられた事をお伝えします。

話すことと泣くことの大切さ

 

 ただ単に生き延びるための生活は性に合わない。喰う、働く、寝る……それだけの繰り返しはしたくない。だらだら生きるだけの人生なんて自分の価値を見出せない。虫みたいなただの生命活動を維持するだけの生き方はしたくない。

 楽しさが欲しい、やりがいのある仕事をしたい、人の役に立ちたい……どうせ生きるなら目的を持って生きたいと思っている。なのに、ここ数年それらの目的が達成されていないように感じる。そんな折も折……

 

 

<話すこと>

 実は昨年中ごろから「もう人生を終わらせてもいいのかな」と思うことが度々あった。「なんでだろう」と考えたとき、環境の変化が大きいことに気づかされた。今まで、目的が達成できていないフラストレーションを補ってくれていたのは周囲の者たちだった。だが、昨年から自分の人生において最も大切な三人の人物と会えなくなってしまった。

 

 まず、30年近く身近にいた人物が居なくなった。続いて、スキー・登山・温泉巡りをいつも一緒にしていた友人が、大怪我をして行動を共にできなくなった。さらに、月に2~3回は会って話をしていたウマの合う女友だちが、心身にダメージを負い会えなくなってしまった。

 

 そのため土日はもちろんのこと、3連休などがあると3日間人間と話をしないことがある。そんなときにとてつもない孤独感を味わう。それが昨年1年間の大きな環境の変化。だから、やっとこさ人間と話ができると、気持ちが落ち着いて軽鬱状態から脱することができる。

 

 いつかその三人も復活するだろう。だから「もうちょっと生きてみるかな」と思えてくる。

 孤独は良くないことしか考えない。一人でいるとネガティブになる。親しくなくてもいいから人と話をするのが何よりもいい。……それを強く思うようになった。

 

 

<泣くこと>

 自分にとってのスッキリする裏技がある。それは泣くこと。昭和の男は「滅多なことで泣くな」「人前で泣くな」と言われて育ってきたこともあり、泣くことを弱さや恥ずかしさの象徴と捉えている。だからこそ泣くことを拒否する傾向にある。

 

 だが、泣くとスッキリする。体の中に溜まった何かを吐き出すことでスッキリする。

 大事な人が亡くなったときなどは、溜まった寂しさを吐き出すといい。

 感動したときのあふれる感情は、涙とともに解放すればいい。

 切なさを感じたときは、素直な涙で洗い流せばいい。

 同情したときの涙は、本来ある自分の優しさを再燃させる。

 

 誰もいないところで、たまには一人で号泣してごらん。特に男性諸氏! 泣くための動機なんか必要ないから。映画なんかでもいいんだよ。マジでスッキリするから。

 ただし、メソメソ泣きや悔し涙は効果が逆なので除外ね。

[後記]

 保育園で子どもたちとは会っている。だが、そこで得られるのは癒しのみ。子どもと話をする機会はあるが、所詮人間同士の会話としては成立しない。特に喋れない3歳児以下のクラスに回された日は話が一方通行に終わる。だから大人と会話らしい会話ができると、やっと人間と話をしたなぁと思えてホッとする。

 今、個人的に不安になっているのは迫りくるGW。また孤独を感じるのかなぁ。誰か、話し相手になっておくれぇ~!

 

【お知らせ】

テーマ『いつだって子どもの味方』は強い関心をもって読まれる傾向があるため独立しました。

 

『可愛いだけじゃやってらんない保育園』

https://ameblo.jp/netpure3333/entry-12963947485.html?frm=theme

 

こちらに今まで掲載した内容を毎日移設しています。また新ネタも随時掲載していきます。

保育園のほのぼのネタだけじゃなくブラックな部分を見たい人、子育てに励み悩む父母、発達障害児の親、シングルファーザー、新人保育士に向けた内容です。正規の保育士や教育専門家とは違った目線で、幼児の実態や保育園の実情をライター目線で追っています。もしよろしければ見てやってください。