親が幼い子どもを虐待したり、棄てたり、殺したりと痛ましい事件が多く報じられる。子どもの悲惨な出来事ほど人の心を苦しめるものはない。身内はもちろんのこと、他人の子であってもそれは同じだ。
ニュースになるほど酷くなくとも、親に傷つけられている子どもは多くいる。そのひとつとして離婚によるものがある。私の友人にも数多くいる。知っている事例のひとつに思わず涙するものがあったので、それを紹介したいと思う。
母に棄てられた子ども
淳くんが生まれた時は母親に愛されていた。淳くんも父親より母親が好きで、家で仕事をしていた母親にいつもべったりしていた。それは、どこにでもある母と子の姿だった。
しかし、3歳から始まった小児喘息とアトピーの世話の大変さで母親は徐々に育児放棄気味になっていった。しかも、淳くんがほとんど言葉を発しないため会話もままならず、母子のコミュニケーションが取れないことを「つまらない」と感じていた。そのうち会話することを諦めて淳くんをビデオ漬けにしていた。
極めつけは医者から多動症(ADHD)と診断されたことだった。言うことはきかない、外出先では好き勝手に走り回る、保育園では問題行動ばかりを起こす、近所の友達とはトラブルばかり……。
父親も一緒になって育児に努めたが、子育てに飽きた母親は夜遊びで知り合った相手と浮気をし出て行ってしまった。淳くん4歳の時だった。
無感情……
母親が急に居なくなっても淳くんは一切泣き叫ばなかった。「変な子だね。変わった子だね」と噂されたが、標準的な会話力がないため、自分の感情を上手く表現できなかったのかもしれない。
一度だけ「ママはいつ帰ってくるの?」と聞いてきたことがあるが、その時以来母親のことを口にすることはなかった。ビデオ漬けを中心としたネグレクトを受けていたせいで、母親が居なくなっても環境が変わらなかったためだろう。
話しかけることの大切さ
6歳の誕生日を迎えた時、淳くんはいきなり普通に話ができるようになった。それまでは保健所のカウンセラーによる育て直し療法や言葉教室に通うなどしていたが、田舎から出てきた祖母が母親代わりに毎日親身になって話しかけたことにより、たった一ヶ月で話せるようになったのである。
それまで父親も話しかけたり、いろいろな体験をさせに遊びに連れて行ったりしていたのだが、祖母の母親のような接し方には及ばなかったようだ。父親はこの時、ビデオ漬けにさせず根気を持って話しかけることの大切さを思い知ったという。
父への思い
小学1年生の時、学童保育で揉め事があった。数人の友達が「おまえんちはなんでお母さんがいないんだ」とからかったのである。しかし、淳くんはムキになることはなく「その代わり、うちのお父さんはいろんな所に遊びに連れて行ってくれるんだぞ。羨ましいだろ」と言い返したのである。父親は迎えに行った際、偶然その場面を目撃していた。
そして、この子は本当に自分を棄てた母親に未練がないのだと思った。
困難な婚活
新しい母親を探すため、父親は婚活を始めることにした。だが、淳くんが相手女性に対して異常なほどあまえてしまうため引かれてしまうことがほとんど。相手に子供がいると、その子を突き飛ばして独占しようとする。時には抱きついままでいたり、胸をさわることもあった。そのため相手女性の多くは、「あなた(父親)の妻になれても、淳くんの母親にはなれない」と言って、婚約が成立することはなかった。
父親の家に友人女性が遊びに来た時は、小さな体でお茶を入れたお盆をグラグラさせながら持って来たことがある。どんな女性が来たのか様子を探りに来たのである。「この人がお母さんになってくれるのかも」という期待を持って。
このように、本人は口には出さないが“母親”という存在を潜在的に抱き続けていたのである。本人の思いとは別に無意識に母親の愛情に飢えていたのである。悪い言い方をすれば、誰でもいいから“自分のお母さん”になって欲しかったのだ。
淳くんは話せるようになってから母親にあまえたことがない。3歳までは無意識にあまえていたが、意識して積極的にあまえたことはない。父親にあまえることがあっても、母親にあまえる感情とはまったく別物だ。そのため他の大人の女性を見ると、母親の幻影を求めてあまえてしまうのだった。
母を許す?
2年生になる時、父親は淳くんに対して初めて母親のことを聞いた。
「どう思っているか? どうして会いたいと言わないのか?」
だが、敦くんは何も答えない。「憎んでいるのか?」と聞いても「別に……」と言うだけ。そこで父親は言った。
「憎んでいないのならそれでいい。もし、いつの日かお母さんが謝ってきたら許してあげようね」
淳くんは黙って頷いた。それ以降、母親について口にすることはなかった。ずっと小さな胸の内にしまいこんだのである。
心の傷が開かれた瞬間
その半年後、父親は衝撃的なシーンを目撃する。
一人でテレビアニメを観ていた淳くんが、母と幼い息子が別れるシーンでひっそり涙を流していたのである。悲しそうな泣き顔ではなく無表情でポロポロと玉のような涙をこぼしていた。
いつもはドタバタ系アニメやポケモンなどが大好きで大はしゃぎしている。だが、この時はたまたま大人向けのものを観ていて、そのシーンで声も出さずに泣いていたのである。
「何も言わないけど、この子は傷ついてる」
父親は今さらながら思い知った。ふだん何も言わないからこそ内に秘めた悲しみは大きく、こういう時に感情が出てしまったのだろう。
それがわかった時、今度は父親の目に涙があふれた。アニメの内容ではなく、淳くんの涙する姿が居たたまれなくなり号泣してしまった。
その後も淳くんは、母と子の別れのシーンを観ると声を押し殺して泣くようになった。
涙の質が違う
我が子が泣いているところを見ることほど親にとって辛いものはない。虐められて泣くのとは違う。転んで痛くて泣くのとも違う。欲しい物を買ってもらえなくて泣くのとも違う。小さな子どもが長く感情を押し込め、それがあふれ出た時に声を押し殺して泣く姿ほど見ていて辛いものはない。
無表情で涙を流す子どもの姿ほど悲しいものはない。
母親のことを口にしないドライな子と思われていても心の中は酷く傷ついているのだ。いつしか感情を出せなくなっていたのだ。
そういえば父親も映画『クレイマークレイマー』『三丁目の夕日』のラストシーンやテレビドラマ『Drコトー診療所 第2期』におけるの原父子のやり取りを観ると泣いていた。父子そろって、自らの体験をドラマなどで客観的に見ると感傷的になってしまうタイプなのだ。
突然の怒り
4年生になったある日、淳くんは突然「あのクソ女」と言ってきた。
「謝ってきたら許してあげようと言ったじゃないか」と父親は言うが、「いつまで経っても謝ってこないじゃないか!」と激しい怒り口調で言い返す。
淳くんは黙って待っていたのだ。母親が自分を棄てたとわかった時から、父親と誓いの言葉を交わした7歳の時からずっと母親を待っていたのだ。だが、何かがきっかけでついに堪忍袋の緒が切れてしまったのだろう。以後、二度と母親のことを自ら口にすることはなかった。
母と子の絆には勝てない
今では成人となった淳くん。しかし、女性に対してトラウマを抱えている。浮気をする女性が許せず憎悪する。子どもを棄てたり虐待する女性に激怒する。年上の女性に惹かれやすく、あまい言葉で誘う女性に騙されやすい。相変わらず母と子の別れのシーンを観ると涙する。
そんな息子を見て父親は言う。
「幼子には母親が必要だ。特に男の子にとって異性である母親の存在は絶対的存在。父親には限界がある。どんなに全力で愛しても、母親の愛情に父親の愛情は一歩及ばないというのをしみじみ感じた」……と。 お腹を痛めて産んだからこそ母親の愛情の方が優る。……それは仕方のないことなのか……。男女の愛情の有り方に微妙な違いがあるように、父親の愛情と母親の愛情にも違いがある。差もある。それは男親には越えられない、どうしようもないものなのかもしれない……。
幼い子どもを棄てざるを得ない理由はあるだろうが、心が傷ついた子どもは見たくない。無表情で涙を流す子どもなんて見たくない。
どうか子供が幼いうちは棄てないで欲しい。病死や事故死での別れと違い、棄てられたという心の傷は一生治らないのだから。どうか無表情の涙を流させないようにして欲しい。
黒い太陽
淳くんが1年生の時、図画の時間に描いた風景の絵がある。それには真っ黒の太陽が描かれていた。担任の先生は「この子はセンスがないというか独特すぎる」と呆れ、友だちは「目がおかしいのか?」とバカにした。
だが、その黒い太陽は心を閉ざした淳くんそのものを表していたのだ。無意識に描いていたのである……。
お願いだから子どもに黒い太陽なんか描かせないで。
[編集後記]
1年生の時に心の中の闇を黒い太陽として描き、母子の別れのシーンを観て無表情で涙する……わずか6~7歳の子供のこんなむごい姿は見たくない。











