友の不幸に自分も泣き、
友の喜びに自分も心を躍らせる。
そんな生命の共鳴が、
本当の意味で社会に開かれた人格を形づくっていくのであろう。
これほど貴重な人生の勉強もない。
もし、わが子の教育を真剣に考える親であるなら、
友人をつくること、
友人を大事にすることを忘れては断じてならぬと、私は思う。
当たり前のことをいうようだが、
青年はすすんで友を求めよき友をつくるとともに、
友によってみずから学び、
自身も友を正しく啓発することに至上の価値をおくべきではないか。
そして、青春時代の友情を大切に守りそだて、
生涯つらぬくこと。
ただ、その場合、
友情は善悪ともに通ずることも知らなくてはならない。
悪友は得やすく、
善友は得がたい。
本当の善友とは、ときに自分の欠陥や誤りを、
厳しく指摘してくれる人。
偽り親しむのは、かえって身を滅ぼす悪友。
人間の弱味は、往々にして、欠点を指摘してくれる人から、
身を遠ざけようとするものではないか。
だが、実際に、この欠点によって、
わが身の蒙る――現実の結果は、それよりも何十倍も辛いものとなる。
そうした失敗をさせぬために
教えてくれる友だちや先輩の苦言は、どれほど有り難いか。
よき友をもつこと。
よき先輩をもつこと。
これは、人生の至上の幸運であり、
誇るべき宝であるといっても過言ではなかろうか。
まして、人間性がさまざまの逆らいがたい力で、
惨めにも抜き取られつつある現代社会で、
友情という人間関係は、
人間性を守る唯一の砦とすらなっていくようです。