今年の令和2年2月14日
小泉大臣記者会見録

http://www.env.go.jp/annai/kaiken/r2/0214.html)にも残っている
池田先生の提言を今一度読み直してみました。



その提言から抜粋した内容を紹介します。

 

13世紀の日本で仏法を展開した日蓮大聖人は、
この「娑婆即寂光」の法理の要諦について、
「此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と説きました。

つまり、

人々が願い求める理想の「寂光土」は、
どこか別の場所にあるのでも、
手の届かない遠い場所にあるのでもない。

自分たちが今いる場所を
そのまま「寂光土」として

輝かせていく行動を広げることに、
法華経のメッセージの核心がある――と。

大聖人の時代の日本でも、
戦乱に加えて、
地震や台風などの災害や疫病が相次ぎ、
多くの民衆が苦悩に沈んでいました。

さらに当時の社会では、
自分の殻に閉じこもることで

現実から目を背けさせる思想や、
 

人間は非力な存在にすぎないとの

諦観を説く思想が蔓延しており、
 

それがまた
人々から生きる気力を奪う悪循環を生んでいました。

その中にあって大聖人は、
法華経で説かれる国土変革のドラマの起点となった宝塔の出現について、
「見大宝塔とは我等が一身なり」(同740ページ)と述べ、
苦しみに満ちた世界を照らした宝塔と同じ尊極の光が、
自分にも他の人々にも具わっていることに目覚めることが、
人間の限りない力を引き出す源泉になると説きました。

そして、一人一人が自らの生命を宝塔のように輝かせ、
社会を希望で照らす行動を広げる中で、
自分たちが望む世界を自らの手で建設することの重要性を訴えたのです。
 

歴史は繰り返しているのかもしれません。

 

そしてここに記されているように、

一人一人が自分の足元から希望を灯す必要があります。

 

この前段には、釈尊が29歳で出家した時のことも書かれています。
 

苦しみに満ちた世界という認識だけが先行すると、
世界との向き合い方は誤った方向に傾きかねない。

「自分だけが苦しみから解放されれば良い」といった考えや、
「社会の厳しい現実として諦めるほかない」との無力感に陥ったり、
「誰かが解決してくれるのを待つしかない」といった

受け身的な生き方に流される恐れがあるからです。
 

釈尊の本意は、
娑婆世界は堪え忍ぶしかない場所”ではなく、
“人々が願ってやまない世界(寂光土)を実現する場所”
であると説き明かすことにありました。

 

とあります。

 

必要なことは、まずは自分が希望を持って

変わるということですね。

 

 

最後に

 

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