みなさま、あけましておめでとうございます。今年も、昨年同様ネッペを大いに盛りあげましょう。
さて、ブログということで、個人的な趣味の世界から、自由に書いてみたいと思います。
毎日毎日技術者業を生活の糧とし、休日にも時々ではありますが、原稿を書いたり、技術士論文の添削や、受験相談なんかを行っておりますと、少し違うことを考えてみたいと思います。
そこで、昨年9月に某美術館主催の「江戸文化講座」を受講してみました。第2講-喜多川歌麿:美人画から何をひもとくか、といった講座でした。課題となる絵は、下に掲載する「歌撰恋の部」のうち「深く忍ぶ恋」です。「歌撰恋の部」は、揃いものといわれる複数枚の絵がセットになったもので、このシリーズは5枚揃いです。そして、その中でもこの「深く忍ぶ恋」は、歌麿の最高峰の1つとして評価される作品です。
この作品は、1793年頃の作品とされ、写楽の1年前(写楽が絵を書いたのは、1794年の約10ヶ月間のみです。)、寛政の改革の真っ只中の作とされています。
ここで、当時の様子を振り返ってみましょう。女性は、17~18歳が結婚適齢期、二十になれば年増、25で中年増、30で大年増といわれていました。また、女性は結婚が決まると、歯を黒く染め、子供ができると眉を剃るという習慣がありました。
これらを考慮して、この絵をもう一度見てみると、歯を染めていることから、既婚女性、眉を剃っていないことから、子供はまだいない、といったことがわかります。
さらに、比較的地味な着物、手入れの行き届いた丸髷、などからして、20代後半の裕福な家庭の主婦が恋する表情を描いたものと推定できます。
もちろん立派なご主人のいらっしゃる方でしょうから、かなわぬ恋なのでしょう。
また、この絵の構図に着目すると、対角の構図を採用し、女性の目線がこれに追い討ちをかけています。対角の構図は、一般に緊張感を与える構図とされ、この女性の並々ならん恋心を表していると解されます。
これが、私の理系頭がひもといたこの絵の解釈です。
ところが、浮世絵学者の解釈は、この女性の年齢や境遇の解釈までは一致したものの、「それでは、この絵に最もふさわしい歌を百人一首から一首選んでください。」でした。
すなわち、ぼんやりしたものを、ぼんやりしたものに当てはめて理解するという、私の理系頭ではなんとも理解しがたいものでした。もっとも、「ぼんやりしたもの」という概念も、私の理系頭がこのように判断しているだけかもしれません。
何らかの事項を理解することは、論理的に解答を導けることと考えがちですが、必ずしもそうとは限らないようです。
こんな、異種交流もたまにはおもしろいと感じた次第です。
Masa