寒い日が続いています。
私もようやく体調が戻りつつ有りますが、世間では風邪やインフルエンザが流行っていますね。
しかし、太陽の日差しは年末の頃に比べて強くなり、暖かさを感じる様になりました。
季節は確実に春に向かっていますね。
(=⌒▽⌒=)
今日のブログは一昨日に行った交通科学博物館の展示車両特別公開です。
当日は閉館を惜しむ人達が大勢来場し、入場券を買う人達が数珠繋ぎで並んでいました。
4月6日の閉館までのカウントダウン記念として非公開となっている保存車両を一般公開しています。
今回は0系とEF52電気機関車が一般公開されました。
日頃は車内に入れませんが、0系先頭車から車内に入る事が出来ました。
新幹線の車内に入ると、いきなり運転室が目に飛び込んできました。
運転台は時代を感じさせますが、現代の電車運転台に受け継がれているレイアウトとなっています。
しかし私にとって何よりも驚いたのは、運転室に灰皿が付いたことです。
今では車内禁煙が当たり前ですが、当時は運転士が喫煙して運転していたのでしょうか、今では考えられません。 ( ̄□ ̄;)
先頭車乗降口付近です。
0系21形を示す形式表示と号車表示が有ります。
車両は記念すべき営業用車両トップナンバーです。
乗降口のエアコン噴出し口の後に見える非常燈が古さを感じさせます。
次は車内の様子です。
懐かしいシートです。
今と違って転換クロスシートでした。
正に昭和の代名詞で、子供の頃に乗った記憶が甦ります。
1列目の座席は少し狭くなっており、正面の壁にテーブルと灰皿が据え付けられています。
窓の下には小さなテーブルと灰皿が取り付けられています。
国鉄時代に数多く見られた灰皿です。
灰皿に国鉄のJNRマークが付けられていました。
何と言っても、この使い古し感がたまらないです。
座席シートの肘掛に取り付けられた灰皿です。
車内禁煙が進んで座席に灰皿設備の無い車両が多くなった中では、貴重です。
座席指定表示板です。
国鉄型車両では数多く見られましたが、今となっては懐かしいです。
アナログ式湿度計です。
ここにもJNRのマークが有ります。
化粧室です。
三面鏡となっており、女性に配慮した造りとなっていました。
小物を置く網棚は、本物の組みひもで編まれていました。
今では網棚と言う言葉が死後となっています。
グリーン車の車内です。
普通車の座席シートがシルバーを基調としているのに対し、グリーン車はゴールドです。
1980年代まで見られましたが、車両更新に伴って、平成に入った頃には見られなくなりました。
今では非常に貴重です。
左側はシートを直して、新品同様となっているのに対し、右側のシートは廃車時のままなので、朽ちています。
願わくば建設が予定されている京都鉄道博物館で公開が再開された時までに復元して欲しいです。
0系が登場した時は横長の窓が特徴でした。
一番端の座席にはテーブルと足置き場が壁に取り付けられています。
エアコンの噴出し口と並んで、蛍光灯はカバーが取り付けられていました。
当時は蛍光灯カバーを取り付けた車両が優等車にしか採用されていなかったので、新幹線は優等車の証でした。
非常口です。
緊急時には脱出口として設けられていました。
グリーン車の湿度計は表示が赤色です。
どうして普通車と違うのか、よく分かりません。
普通車との違いを示す為に入口付近は金色を縁取りがされて、高級感を演出しています。
ビュッフェ車内です。
当時は東海道新幹線内で軽食を出すビュッフェが有りました。
当時は軽食を食べながら富士山の風景を見る事が大変人気だったそうです。
厨房機器は簡素な造りとなっており、電気調理器や当時としては珍しい電子レンジも設置されていました。
当時珍しい業務用電子レンジです。
夢の魔法調理器として、珍しがられたと思います。
これはエアタオルです。
今では公衆トイレに数多く設置されているエアタオルですが、当時は最新設備です。
今では公衆電話自体が珍しくなってしまいましたが、新幹線から電話が出来ると言う事で、話題となりました。
車販準備室です。
ここで、お弁当や飲み物類が売られていた売店となっていたのでしょう。
0系新幹線には冷水機が設置され、自由に水を飲む事が出来ました。
今では見る事の出来なくなったサービス設備です。
ビュッフェ車は半室ビュッフェとなっており、半分は普通車でした。
当時は35形と呼ばれ、9号車に連結されていました。
廃車時の新幹線案内ポスターです。
「さよなら0系」の時に貼られたポスターが掲示されていました。
以上で0系の細かな部分を見て来ましたが、新幹線の元祖としての足跡は大きく、新幹線の礎として今後も大切に残して欲しいですね。 ≧(´▽`)≦
それではバイバイ。
(^O^)/