参照記事
なぜ「異論」が出ない?教員の相互不干渉が蔓延か…同志社国際高校・辺野古事故から考える"学校ならではの風土"の問題点(by 東洋経済オンライン)
↑のヤフーニュース
同志社国際高校の件は静観を決め込んでいた文科省が乗り出さざるを得なくなったということを、批判している人たちこそ重く見るべきです。
学校側が旅行会社を通さずに独自のルートで決めたコースが、あろうことか批判一辺倒であったこと、それ以上に「反対派を水増しするため」としか思えない安全軽視の振る舞いとすべてが「基地反対」に繋がっています。
「政府(文科省)のしたこと」ということで条件反射で批判している人たちは、事故の本当の原因を認識するべきです
教員特有の閉鎖社会と私学特有の身内意識の見事な融合がなした結果でしょうね。そもそも教員は大学を出た瞬間に指導者として、子供たちに接する。
会社で言うといきなり管理職になるようなもの。しかも相手は子供なので圧倒的に力関係では上。
会社の管理職同士がお互いの部署に干渉しないのと同じで普通は干渉しない。
更に私学特有の狭い身内意識が正常な判断力を持てなくさせる
教職のプロとして勤務した経験はありませんが、取引関係で多くの職場と接してきました。幹部クラスの職員が気苦労の対象としているのは、労働組合(教員組合や職員組合)です。小学校から大学まで何をするにも組合の顔色を見る必要があります。課題が発生すると幹部職員が批判の的になります。そうして心の病を患った方も知っています。ある教職員が何か課題を持っても組合には逆らえません。すべてが同じ環境ではないことを祈りますが、一般企業的な感覚から観ると異常に見えます(返信)
組合員、私立は特に少ないと思います。
同志社は、法人内での学内転勤もあり、固定化も無い部類の私立だと思いますよ。
ただし、「同志社」という枠に勤務し続ける為の忖度は、法人に傾倒する形で個人個人にはあったのではないかと思います。
「京都」という土地柄の「同志社」という存在自体に政治的違和感があるのならば、それも否めませんが
沖縄の研修旅行で起きた悲劇は、どの学校でも起こりうる「職員室の閉鎖性」が原因だと思います。私立特有の人事の固定化もあり、「空気を壊したくない」「他人の領分に口を出さない」という事なかれ主義が、重大な安全リスクを盲目にさせました。 個人の勇気に頼るのではなく、「危険を自動で止める仕組み」が必要だと思います。「注意報が出たら強制中止」「下見のない計画は禁止」など客観的なルールを作れば、職場の空気に左右されず命を守れます。さらに、外部の厳しい目で計画をチェックする体制や、あえて会議で異論を出す役割を設けるなど、「ダメなものはダメと言い合える組織づくり」が、再発防止に不可欠ですね
良い記事だと思う。学校という組織が個人商店の集まりで、相互不干渉という暗黙のルールがあるというのはそのとおり。組合活動に傾倒した教員が居て、そこで共産党の偏った理論に洗脳され、それを生徒に広めるよう指示されていた可能性が高いと思う。そもそも、労働組合が学校の教育内容に口出しすること自体が教育に対する「不当な支配」だが、日教組は平気でそんなことをしていた。もともと相互不干渉の文化があるうえ、大体の職場において組合活動を熱心にやってる職員は面倒くさい人だと思われているから、他の教員は皆見て見ぬふりをしていたのだろう
今回の問題は校長個人ではなく、担当者の判断がそのまま通ってしまう学校の意思決定プロセスに原因がある。安全面も教育面も複数の視点で検討されるべきなのに、異論が出ない体質が危険を見逃した。
私立は異動が少なく組織が固定化しやすいことを考えると、この単独決定のリスクはさらに大きい。
修学旅行のように単独の意思決定が反映され得る行事は、一度立ち止まって仕組みを見直す時期に来ている
(返信1)
それだと修学旅行の出発式(学生と教員参加)で牧師自ら宣言していた「この線より入ったら逮捕されます。でも行きます。」という法令ぶっちぎりの船長が操船する船に学生を教員無しで乗せた言い訳にもならないんですが。異論とかではなくて違法行為に毎年加担していたから通例だったということですよねこれ
(返信2)
同志社国際がニュースZEROの取材で、「何故危険だと報告があったにも関わらずカリキュラム辞めなかったのか」の質問に対して
「校長のガバナンスが問題だった」と答えてる
(返信2への返信)
賛成です
文科省が是正したのは、学校が政治的中立に違反したからです。学校が事件に対して責任をとらなければいけない。
じゃあ誰なのか。校長以外の誰が責任を取るのか
教育組織というのは一般的に「やりがい搾取」的で、たとえばクラブ監督や旅の引率はそれをしたとて他の業務が軽くなるわけでもない。ほとんど手当もないというか、自腹切らないければマシ、という感じ(実際、予算がないので任された人が自腹を切る例は多くある)。
しかしやりがい搾取であることはだいたい皆気づいているので、担当者以外がこうやれば、と提案すればじゃあお前がやれ、となるので誰も指摘・提案などしなくなる。
こういう仕組みもあるのですよ
(返信)
「それで何かあっても私のせいじゃない」
なんて無関係を貫けるならそれでいいんだろうけど、この同志社国際の件は
「学年担任会議でプランを作り、職員会議で審査された上で校長の許可が下りる」
って流れで決定したって話だから
「そのプランに賛成した」
として関係者になってるからな
教師は教えるのが仕事ですから、事前の安全確認だの許認可だのは専門外でしょう。だからこそプロの旅行会社に頼むわけで、旅行会社を外したプログラムを入れた判断自体が間違っていると思います。旅行会社に平和学習をテーマにした沖縄修学旅行の企画を考えてくれ、米軍基地の現状などもわかるものを盛り込んで複数案示してくれと言えばよかった話だと思います
人事異動のない私学という点が最大じゃないかな。公立なら人事異動は毎年あるし、教育委員会の存在もあるし、地域の地方議員や国会議員の目もあるので、そもそもこんな企画、仮に立案されてもまず通ることがないだろう。 私学に特定の思想の教組等が重なればほぼ治外法権。助成金や無償化など私学にも税金が注がれているのだから、ある程度の透明化は必要かと思うが
教師の考える平和教育は、自衛を含む武器を全て無くて戦争を無くすのが平和教育。コレはメディアも同じだと思う。
全ての国が武器を無くてしまえば戦争が無くなるのは間違いではないが、現実ではロシアがウクライナに侵攻し、ガザでの紛争、中国の海軍進出、そしてアメリカと、日本にいても軍備無しでは平和は保ってないのが常識となっている。
教師は子供たちに自分の考えを押し付ける手段が強引である事を考えて欲しい
次は文科省の判断が正しいのか否かを検証した記事も書いてもらいたい。普通に考えれば同志社国際高校の「平和学習」は中立性を逸脱していたと思う。
しかし、文科省の判断を「教育が委縮する」と言う者達もいる。
日本全国の高校の中に、同志社国際高校と似たり寄ったりの「平和学習」をしている学校が多分他にも存在する事が予想できる。
これらの学校に文科省の判断を適用すれば本当に教育が委縮するのだろうか。
ぜひ検証記事をお願いしたい
この問題を不問にしてはいけない。他者が介入しない場合、学校側はまた「平和教育」と称して、今回のように子供たちを抗議船に乗せるような危険な真似を続けるつもりなのでしょう。
…同じ悲劇が起こり得ます
若い命を犠牲にするような、これまでの教育の在り方を見直すというのは、政府や関係者の責務として当然です
本記事は文科省の事実確認を土台としつつも、後半の組織論は筆者の「推測」です。
特に「教職員間のなれ合い」や「相互不干渉」、「空気が読めない人」「やっかいな人」扱いされるといった、閉鎖的な職員室の風土を形容する言葉を重ねた分析は、他校の事例や一般的な心理学を引いた仮説であり、当該校の確定した実態ではありません。
読者はこれを実際の学校の姿と誤認せず、あくまで一つの見立てとして冷静に受け止める必要があります。
また、記事中で一括りにされている「安全対策の不備」と「政治的中立性」は明確に区別すべきです。
前者は危機管理上の致命的な過失、後者は教育理念の問題です。
これらを地続きで語る論理は、安全面の落ち度を利用して政治的側面の是非まで読者を誘導しかねない危うさを含んでいます。
事実と推測、性質の異なる二つの論点を、読者自身が慎重に切り分けて読み解くことが求められます
こういう教員間の軋轢は、多くの学校であります。特に何らかの力を持ったベテラン教員がいる学校では、その教員の考え方に反論できない空気があります。じゃあその力って何かと言うと、学年主任とか統括的立場にあるベテラン教員の性格的なものもあれば、それこそ組合活動の活発な教員が挙げられると思います。権利やら人権を強く主張する教員にありがちなのが学校行事への職務分担に不平不満があると会議を混乱させたり主義主張をねじ込むことは日常茶飯で、教頭の自宅にまで抗議の電話を架けてきます。閉鎖的で外部から見えにくい学校組織においては珍しくない光景だと思います。学校運営を左右する立場にある校長は、政治的思想に左右されない強い信念と覚悟をもって学校運営に取り組んで欲しいと思います
ここに至るまで学校側がきちんとした報告をなされない理由は何故なんでしょうね、生徒の人命も失われているというのに。並べての記載が不適切・不謹慎かもしれないが、男子ソフトテニス部員1名が亡くなられた磐越道でのバスによる事故では経緯含めてある程度の報告的なことがなされていると比べると雲泥の差を感じずにはいられません。
故に左派?というか基地反対派などは自ら政治問題化に主眼を敢えて仕向けて事の収拾を図ろうとしていると、穿った見方しかできません。
これらの方々ならびに本件に関して教育への政治介入などと主張される面々こそ、まずは学校サイドにきちんと経緯含めての説明をするように促すべきです。
教育の政治介入か否かの議論は、学校側からしっかりとした説明がなされてからでも十分だと私は考えます!
自らの理想、主張だけ行い、都合が悪いとダンマリならば政府を批判する資格は全くないと考えますので
先日のnews zeroの質問に学校側は、「前例踏襲主義」「ガバナンスの不在」を挙げていた。おかしい、と認識していた教員はいたのだろうが、声を上げずにいた結果今回の事故が起きた。現状そこを監視するのは、保護者、設置者である同志社の役割と責任が大きい。学校側は事故後「学習内容について点検を行う」としているが、保護者に対しても未だに何の説明もないままだ。今後は、研修旅行や教育イベントについては事前にプログラムをホームページ上で公開するなど情報公開を徹底すべきだろう。
それにしても、このような痛ましい事故を引きおこした場合、民間なら引責辞任、降格、担当教員への懲戒などの処分が下るはずだが、外部調査結果を待っているのか、もともとその気がないのか、だんまりを決め込んでいる学校側の姿勢に不信感を覚える。保護者の気持ちはいかばかりか
(返信)
別の記事によれば、同志社国際は
「第三者委員会の調査が終わるまでは公表を控える」
として毎月の学校説明会も行っていないとのこと
1人のジャーナリストからの情報なので、全てが事実なのかは不明ですが…この高校の教員待遇が公立校や他の私立校よりかなり良い待遇のようです。
週休3日で給料も高いので、先生方はそれを犠牲にしてまで校長など上に逆らおうとは思わなかった「事なかれ主義」の可能性が疑われます。
また辺野古に関わるようになったのは、今の校長が学年主任になってからという情報もあります。
以上のことはあくまで推測が入り交じってますが、転覆後に生徒がテント小屋に集合したにも関わらず点呼もとらないで茫然と立ってる感じなど事故前後の同行教員の対応を見る限り、かなり緩んでいた職場だったのではないかと思います
監視カメラの映像は衝撃的だった。事故後,生徒たちが救助されて港に帰って来た時、教師二人は近くにいなかった。従って全員救助されたのかの点呼に教師は関わっていなかった。女子高生を探しに海上保安庁が向かったのその後だ。
その後男性教師がきたが、眺めるだけ。遅れて来た女性教師は最後の救急車に同乗した。
教師達のあまりにも無責任な行動に呆れる。無責任な職場風土が同志社国際の職員間には蔓延していたのだろう。校長等の今までの受け答えにも表れている。
こんな学校にもし孫がいたら,すぐ転校させたい。海外勤務からこの4月に帰った次男の勤務地が関西でなかって良かった
教職員組合とかはあまり関係はないかな。それよりも、同志社大学からの要請があったのでは?とは思うけどな。過去同志社大学は中核派や革マル派など革新左翼の勢力下に90年代まで置かれていて、その流れで今も教授らが左派的な講義をしていると聞く。系列校である以上はその様な要請からは逃げられないだろうから、これは同志社という学校法人が未だ抱える問題と思うね
西田校長は、自分が学年主任の時にこの「平和教育」を復活させたにもかかわらず、抗議船とは知らなかったとうそをついた。いずれにしても決裁は管理職がするので、校長は修学旅行の全責任を負う。だが校長に倣って引率教員も無責任だった。諸喜田船長も雲隠れし、マスコミも責任を追及しない。自分たちも仲間だからだ。他にもこの件に関して問題の人物はいるが、全員が責任逃れ。自分は高校教員だが、あり得ないことばかりで言葉を失う
「どんな職場でも、対立は必ず起きる。ただ、心理的安全性があれば、異なる意見をもつ人同士が、どんなところに納得がいかないかを率直に話せるようになる」問題意識を持ってる者とそれほど深くは考える必要はないという者との間では話が噛み合わない。良いものを作り上げようという意識の欠如者が一人でもいるとどうにもならない。
そもそも中学・高校は専門科目のみ教えるから、ほとんど共通な土壌というものがない。だから個人商店のような集まりになる。
修学旅行の班単位に分けるとしても、私の通った私学は同じクラス内で分けたから、本当に個人事業主の元で行われた。だから他所のクラスの教師が出てくることはない。同志社国際がどういう班分けしたのかは知らないけど、コース担当教諭におまかせになるだろうと思う。
護岸から抗議船に生徒を乗せるという異常行動を、校長の指示だからおかしいとは言えないという形で見逃す風土があったということなので、社会から見ると明らかに防げる事故だったが、同志社国際高校の教員側からすると、自分の立場を捨ててまで生徒の命を守る必要はない、起こすべくして起こした事故だったということになるのかな。
今後も上司の望む平和教育なんだから黙って従うというバイアスに従い、自分を守って生徒を見捨てる方を選ぶんでしょうね
そもそも学校において、生徒同士でも生徒から教師にでも、自由な議論が称賛されているわけではない。つまりそういうことをするのはクラスや学校の団結や協調(という名の統制)を乱すものであり、歓迎されるものではない。先生が生徒にそのような態度だから、先生同士がそうであっても何ら不思議はない
学校の先生方は、少人数の職場で働き、校長に権力が集中し、外部チェックが入らず、仕事は個人プレイが多く、相手は子供ばかりで対外部の大人との職務の機会が少ない。その狭い世界に順応した人間になって当たり前だと思います。
だから、政治教養については特に高校までは完全な中立性が求められると思います。
教育基本法に違反した、同志社国際高校の辺野古研修問題は、文科省が法律に沿った完全な中立性の政治教養のやり方をガイドとして作り、そのやり方を規定すべきだと思います。
偏った思想学問は判断力が出来た大学からだと思います。
又、その他の科目についても、先生方がその能力で自由に職場を変えられる様に、科目と生徒の学問レベルに応じた教育技法を医師の専門医の様な免許制にして、高いレベルの免許を持つ先生は他校への転職がし易く報酬も高くなる様にすべきだと思います
自分も発言を黙殺される側だったので、かなり共感できた記事だった。校内研究の指導案の書き方で書式がバラバラだったのを赤ペンで校正して分科会に渡しても全く直らないとか、影響が大きいところだと、ジャージの認可について他県の例を挙げて却下すべきでないと発言したが、周りの学校が認めてなくてウチだけ認めることはできないと言われたとか、そういうのが多かった。
そんな状態にも関わらず、「やってるアピールは必要」みたいな理由で運動会プログラムに全体準備体操を追加するという校長の意見だけはすぐに通った。時短が課題になっているにも関わらずだ。
学級経営は比較的個人裁量がきくし、分掌も個人の範囲であればいくらでも変えることが出来たが、チームのこと、全体のこととなると途端に硬直化する場面は幾度も遭遇した。
研修旅行も学年団や管理職の意向があったなら一般の教員は追認する以外の選択肢は事実上なかったのではないか
教員の相互不干渉説は納得感あるしそれが全てではなくても一因なのは間違いないと思う。学校って教員同士、お互いにやってることに干渉しないっていう不文律があるんだよね。
お互いが一国一城の主で、教育や学級運営に対してとても大きな裁量権がある。
これが一般の会社だったら、社員は会社の一構成員であって組織の一員として協力して会社全体を良くしていくという意識が働くけど、学校の先生は個人商店の集まりというか、先生を頂点としたクラスという家族の集合体という感じ。
他のクラスはよそのご家庭と同じで干渉しないししちゃいけない、という文化。
学校の先生は社会人の最初からそういう文化で育っている人が多いので、組織として動くべき時に動きづらい動けないというのはあるだろう。
そういう文化にもメリットもあると思うから一概に否定はしないけど、組織人としてもう少し協調的に動くような教育も必要なのではないかと思う
教師の方々が何を評価されるかによって忖度しなければならなくなっているということではないでしょうか。評価する側が偏った考え方をもっていれば、黙って従うしかない。箝口令が敷かれているのでしょうか…。恐ろしいことです。世の中全体も、一部の偏った考え方の方が大きな声で騒いでいるだけで、多くの教師の方、生徒の方の声は聞こえてこないですね。
文科省の指導のせいで声があげられないのか、一部の高圧的な方々のせいで声があげられないのか、明白なように思える。
教育の自由を奪っているのは誰?公権力と戦うことを美德だと思い込んでいる方は、自分達が市民団体と言って権力を振りかざしている状況に気が付けないのでしょうね
ここで指摘されていることは特に学校に限られたことではない、硬直した閉鎖的な組織の中では当然起こりえることだ。学校には児童・生徒が大勢いて、保護者や地域住民・行政などの来校者も多いが、それらの人たちは影響はあっても意思決定に関わっていない。いろいろな議論、決定過程は、結局は閉鎖された空間と同じである。戦後、強力なGHQの指導の下、戦前・戦中に教え子を戦場に送った反省から、教育現場は反戦志向になったのは周知の事実だ。そのため、教え子を送り出すたびに、地域社会が持っていた国家に対する伝統・文化・風俗がどんどんなくなっていった。昭和30年代40年代は、まだ多くの家庭に日章旗があり、祭日には表に立てたものだ。そういったこともすっかり変わってしまった。最近は、それが行き過ぎであり、日本国民であることや日本の国に誇りを持とうという人たちも多くなったが、教育現場では続いているところもある
なんで普通に学生時代を送り将来留学の夢を抱き青春を健気に生きていた女の子を過激集団が活動する危険な場所に誘導し法規に従わない人間が重大事故を起こし命を奪った事件をやれ政治活動の弾圧だ政府の不当な介入だと問題すり替え責任転嫁と反省しない輩が公然と開き直る。みんな自分が正しいと重い込んでるのが悲しい。又再発するよ
問題の本質に少しでも近づこうとする姿勢の見える良い記事だった。ハッキリ言ってしまうと、同志社はぬるま湯なんだと思う。
同大出て附属校教諭として一生を過ごすなんて、外の世界を全く知らないも同然。そういう人たちが決して少なくないどころか、組織の意思決定を司る重要なポジションについている。
必然的に、記事で指摘されるような衝突を避ける馴れ合いの体質が染み付いてしまう。
異論が出ないから、おかしな思想教育が蔓延るし生徒の安全確保があり得ないレベルで軽視される。
同志社は自他共に認める関西トップ私学だ。
しかしながら、とにかく変化を嫌う。鷹揚と言えば聞こえはいいが退嬰的と言っていい。
この事件に組織一丸となって真剣に向き合わなければ、ずっと当然だと思っている関西私学の雄の座から転がり落ちる事態とて、決して非現実的ではない。
誠意も迅速さも危機感も、何もかもまるでない組織の在り方は末期的だ
このような事故事件が発生すると必ずと言っていいほど「憶測だけに基づいた記事/コメント」が溢れかえる。今回の記事だって前半までは調査報告書の内容を引用してるものの、筆者が自ら現地現場に赴いて調べたような内容は皆無。中盤からはただただ心理学的な内容を書いてるだけ。確かに「現時点明らかになってない」的なこと書いてあるが…
そして冒頭には女子生徒のことしか出てこない。男性船長は一文字も出てこない。「将来のある女子生徒を犠牲にした学校」というゴシップ好きな世間からの閲覧数だけを追い求め、命の選別して事実関係なんて気にしない、そんな記事にしか感じなかった
大多数の教師は政治思想なんて持ってないか興味がないのだろう全体的に見れば日教組のような思想は少数になるのだろうけど
一番大きな塊になっているから意思決定する時に強くなる
極左組の高齢化は避けられないから自然と落ち着いてくるんだろうけど
それまでの被害者は可哀そう
自浄作用に期待するのは止めて法がきっちりと処罰してくれ
昨今、私立大学は内部進学、指定校推薦等で、高校時代の成績や態度評価が大学進学に大きく影響する。公立高校で国公立大の一般入試の場合には、ほぼ試験の学力で判断される。
高校で【良い子】でいないと、学校からの評価は下がるだろう。
生徒も保護者も、あまり、学校には異論は言えない環境だろう
同志社国際より遥かに大きな問題が起こってますけどそこには触れないんですね。日教組による自衛隊差別行為です。これこそ政治的立場の押し付けであり、職業差別そのものではないですか?
昔から彼らの自衛隊関係者への差別的な行為は有名でした。今は無くなったと思っていましたが、教師歴20年以上の国会議員が国会中に表明しました。未だに染みついていることを自ら証明しました。日教組の加盟教員は今での20万人です。
今回の発言で自衛隊の教え子を持つ教師が、そういう思想の持主だと疑われて自分の発言が萎縮する方は教育の崩壊に繋がります。
正直あの議員が何の問題意識もなく20年間教壇で教育をしていたことに恐怖と怒りを感じますね
難しく書いてますが、普通に民間企業でよくあることではないですか?同志社国際もいくら学校とはいて、私立の感覚は公務員とやってる公立とは異なり良くも悪くも民間企業。
教師1人の正義感より会社(学校)の方針が全てであり、従えないなら辞めればいいという割りきりもあると思います。
私立では校風が合わないからと退職して他の学校に移る教師もよくいます。
公立はその点で学校に対する忠誠心は少ないので好き勝手意見する教師もいる一方で学校としてのまとまりもない。
自分は自分と学校の考え方の拘束力は殆どないと思います。
民間企業なんて意見を言うだけ無駄だし聞いてくれるとすればよっぽど社長が下の意見を取り入れようとする器の大きい社風を持ってる立派な会社くらいでしょう。
私も前の会社で会社にある不正を社長に伝えたら社長も見て見ぬふりしていたみたいで、そこの部署を変えられましたし
政治的中立性に反したものだったのかどうかについては、識者や各団体の見解は分かれており、ここでは詳細な検討は行わないが、
長文の記事の割に肝心な前提をすっ飛ばしている。
教員の中に左派活動家が幅を利かせていることは明らかです。
学生の思想信条の自由を脅かす教員は排除して欲しい
同志社高校については、校長案件だったからじゃないの?
現校長が教職員の時に、現地高校との交流を終了させ、反ヘリ活動家との交流に切り替えた。
で、教職員は出世のため、校長案件となる反ヘリ活動家との親睦を深めていった
現職ですが、本当に嫌気がさすのが組合が本来の役割を果たさずに共産党とズブズブなことです。教員の過剰な配慮やサービス残業問題こそ組合がいしんをかけて取り組むべき課題であるはず。
しかし、〇〇平和運動などに力を入れすぎている。
自衛隊関係に職場体験など依頼する時には警戒しなくちゃいけない意味がわからない
日本キリスト教団は表向きは普通のプロテスタント教会ですが、 実際の牧師たちの活動を見ると、本来の宗教活動よりも、こういう 「市民運動 」に没頭し、よく事情もわからない信者を動員するケースが目立ちます。マスコミはどうして この教団の問題を取り上げないのか 不思議でしょうがないです
学校も組織だから完全自治にしてしまうと今回のような問題が起きた時に対処できなくなる。その為に文科省が中立監視している。今回はその文科省が違反と認定している訳です。
その監視機関の判断に文句を言うのが裁判所の判断にも文句を言う左翼の自己正義思想です。彼らは自分たちを神と等しき存在だと思っていて自分たちの判断が全てに優先すると考えています。
学術会議の時にも明らかになりました
開会礼拝における牧師のメッセージにおいて、牧師自身が行っている辺野古への移設工事に反対する抗議活動の説明では法の枠組みを超えて抗議する姿を見て欲しいと言っていたとのこと自らの主張のためには違法行為も辞さないとのこと
こんなもの教育とは言わない
亡くなった女子高生は遊覧船に乗って珊瑚礁を眺めると思っていたのにだ
これではカルト教団の悪質な勧誘と変わらない
皆さんのご意見とはずれているかと思いますが…なぜ「異論」が出ない?って、なぜわからない?同調圧力に決まっているじゃない。
どんなに間違ったことでも「みんなでやれば正解」
組織に入れば異論を唱えることすら許される雰囲気はない。
労働基準法でもバイト先でもサービス残業は禁じられているのにチーフリーダーも含めてこっそりサービス残業する者を゙何人か見てきました。まるでサービス残業するほうが当然かのように
筆者の様に様々な推測があるのかもしれませんが、単純にイデオロギーを優先させたが為に安全性を怠ってしまったのが原因ではないでしょうか?文部科学省による初めての違反認定は、そういう意味合い強いからだと思います。
しかし違反認定に反発する団体や人達って、その繋がりが深いのは確かなのにどうにか平和教育と安全管理を分けようとしています。
与党らを批判する時には因果関係を深掘りするんだからタチが悪いです
学校にとって、生徒の安全なんてどうでもよかった。そんなことよりヘリ反協の基地反対運動に協力することのほうが大切だった。そうとしか見えない
だから「危険行為を続けたのは校長のガバナンス違反」と学校自身で明言してるのに校長が何の処分も受けてない。
危険行為を誤ったことだと認識してないから
アルゼンチンの1999年の飛行機事故にも通ずる、なあなあの仲間内で杜撰極まりない怠慢をやっていたのではないか?あの校長は現地で事故が発生した時、引率の教員(引率はまともにしてなかったけど)は迅速に対応とか会見で言っていたらしいが、湊の監視カメラで確認できる範囲では棒立ちだったぞ。
点呼確認も救助要請も、全部生徒さんたちがやった。随分と立派な生徒さんたちだよ。
言い訳ばかりの校長と事故対応、引率、下見のできない教員と違って
同志社国際の平和学習は昔は両方の立場の意見を聞いてたらしいけど、今のように偏った話しか聞かない形になったのは、今の校長が修学旅行の担当だった時だと、遺族が調べてましたね。だから今の教員は異論を言えなかったのでしょうね。本来ならマスコミがこういうの調べるはずなのにね
戦前は教え子を沢山戦地へ送り出し何の反省もなく戦後に平和主義になりその過激な活動から60年安保闘争を皮切りに学生運動に高校生や中学生を巻き込み人生を踏みにじり、今度は1人の高校生の未来を奪ったのにのうのうと暮らしている教師がいる、これをどう理解してよいかわからない
同志社国際高校の教師の給与や福利厚生はかなり充実しており、周りの私学教諭の給与水準をかなり上回るらしい。そりゃ今の生活を維持する為には、学校の方針に逆らえないよな?
私学は先生たちの自由な発言もそうだが、生徒の自由な発言も内申点など考慮しての発言になり、公立に比べて自由度が低いと思う。公立で政治的中立性を欠いた、偏ったイデオロギーに基づいた教育を行う先生がいると生徒有志が批判するし、ボイコットするところまであった。特に同志社国際はお嬢ちゃんお坊ちゃん学校で、金持ちケンカせず、政治的な発言はスルーされる傾向にあったのではないかと思う。国が取り締まりもしない団体の、キリスト教の団体が支援するのだから、同様にスルーされたのではないかと思う。何の認可も得ていない団体が今までスルーされ続け、修学旅行での平和教育を担ってきたことのほうが問題だと思う
議論や話し合いは互いに•必要なら譲歩して一致点を見つける
•相手の主張が正しいと感じたら素直に認める
こうした意識を持つ者どうしならやる意味もありますが、国会での共産党や社民党を見れば自分達は1ミリも譲る気が無く一方的に相手の考えを変えさせようとするのでは議論も話し合いもやる意味が無い。
初めは異論を挟む教師もいたと思いますよ。
ですがそれを日教組の様な組織が「調和を乱す危険人物」として集団でいじめパワハラをし耐えられずに体調を崩して退職に追い込まれるとか、そう言うことが過去にあればだんだん言う人もいなくなるでしょう。
内部通報保護にしても兵庫の件でもわかる様に告発された人間自身がそれを公益通報として扱うかどうかを判断できてしまい現行法ではそれを違法とすることが出来ない現状では変化は望めない
こういうところで安寧に胡坐をかいてきた左翼リベラルの実態が明らかになるね体制や政策にいちいち嚙みついて批判しているが日本は平和で裕福だった
一番惰眠をむさぼってきたのは左翼であり教育現場
問題が起きれば心配するのは自分のキャリアであり天下りのことだろう
だから不祥事を隠ぺいだんまりを決め込んで鎮静化を待っている
犠牲者のことなど全く考えていないだろう
辺野古の米軍批判しているどころでなく自分たちが一番の現代日本の病巣だと自覚すべきだ
抗議船がどんな団体でどんな政党と関わってきたかもっとメディアが細かく報じるべきだと思う。安全面では国がしないといけないことに比べて沖縄県がしないといけないことがあまり取り上げられない感じがする。全体的にメディアが左翼に気を遣ってる感じがする
修学旅行の旅程で、無許可、無認可、無承認、無免許、の素人船長が操船する小型船に乗るってのが意味わかんないのよ、救命胴衣の締め方すら知らない船長だよ、
ラフティングに行ったことあるけど、
救命胴衣って自分で相当きつく締めても、
そのあとスタッフがもっと締めるよ、本気で、
安全確保ってそういうもんよ。
左翼がおかしいのはどうでもいいけど、学校がおかしいのはだめだよ
政治的中立性を良い事に、日教組などに、立憲や共産などが隠れ蓑として思想教育をすることが、中立性、平等公平と言うならば、そんな話は間違っていると思う。政治教育や平和教育は大いにやるべきだし、誰も反対していない様に感じる。
反対しているのは偏った一面だけを刷り込ませる、思想教育に危険な感じがして嫌悪感がある。
元教員の日教組の議員が自衛隊を偏見の目で見たり、共産党の下部団体が基地のデメリットだけを、騙して子供に伝えたりが誘導に思えて怖いだけ。
文科省はこの件に関しては頑張って干渉して欲しい
嘘を吐かれた生徒保護者は怒り心頭だよ。学校がやることを生徒は信じ、保護者は知らされない。
生徒たちの心を利用した似非平和学習を実行してきた学校の罪は実に大きい。
生徒一人の命を奪ってから反省では遅すぎるんだ
校長に「君はクビ」って言われちゃう。それが私立では起きるからでしょ。今回の辺野古事故後、「疑念があるなら校長室へ来なさい。」とか生徒に圧力かけてるし。決まった路線以外は認めないんだろう
京都の弁護士会や広島の団体などが文科相に文句を言ってるけど、この記事にある内容だけでも、教育なんて高尚な話ではなく、馴れ合い、惰性、他人事、とても人の命を預かる組織の体をなしていない。教育の話の前に、さっさと解散させるべき