教育の内容も時代によって変えていかなければいけないのは事実です。


引き算としての教育(山城良雄氏の記事から一部引用)



>その際に「〇〇をするかわりに●●をやめよう」ということには、まずならん。〇〇業界と●●業界のケンカにはしたくないからな。で、結局は足し算の教育論になってまう。


教育にかけられる時間は有限である以上、トリアージ・・・項目に優先順位をつけて取捨選択をする必要があるのも事実。



>何かを切り捨てる……日本人が特に苦手としていることや。結局、何もかも捨てきれずに三方一両損みたいな話になる。


日本は既得権益にしがみつく性質が強いですからね。CDでも道路でも鉄道でも。



>特に、一度カリキュラムになったものを、あとの改訂で完全廃止するのは不可能に近い。たとえば、ゆとり教育がヤメになっても、「総合的な学習の時間」は、小中学校のカリキュラムに宿便のように残っている。


高校もそうです。もう1つあるのは、先輩が作ったものをすぐになくするのは、タブー視される傾向があります。ですから、しばらくはなくならないのは事実。



>「総合学習は何かをするには時間が足りないし、何もしないには時間が多すぎる」と、評判が悪かった

何かをさせる企画力がないと辛いですからね。



>足し算ではなくて引き算の教育論。「●●をやめよう」というシリーズや。

実は、これも大事な発想ではないかと思います。できれば、日本の行政全体に取り入れてほしいものです。
これをしないと、1つ1つの内容が中途半端になってしまいますからね。