
こう言う言い方は申し訳ないけど、罪の大きさそのものは死刑にはあたりません。
この被害者の母親は死刑を求めて署名をしていたようですが、このような署名で判決が左右されることはあってはならないこと。
それでは、遺族が厳罰を強く望み、行動力があれば死刑、遺族が死刑を強く望まなければ死刑にならないという不公平が生じます。
それを許してしまえば、いずれ、命に対する差別が平然と行われるようになるでしょう。
それこそ人種、信条、性別、社会的身分又は門地で差別されるのが当たり前の実態になるでしょう。
(日本国憲法第14条第1項 「法の下の平等」に反します)
裁判、特に刑に関しては一方に片寄った判決は許されません。
よく「死んだ人間の尊厳はどうなる?」とか言う人がいます。しかし、刑事事件の判決とは本質的には関係ないもの。
被告人に重い刑が出れば、被害者やご遺族の尊厳は回復するのですか?
それなら、死刑判決が出た殺人事件の被害者やご遺族の尊厳は守らなくても構いませんね。
反対に、死刑判決が出なかった殺人事件の被害者やご遺族の尊厳については気にする必要すらないのですね。元々尊厳がないのですから。
そうではなく、被害者の尊厳を守るのならば、被害者の死を心から悼む人を増やすことが大事なのです。
磯谷さんは、その点では達成されています。
刑事事件は、そもそも被害者やご遺族の尊厳を重視するものではない。
それに、命が重いと言う認識に立つのなら、人数が重要なのは当たり前。公平性を重視するなら、なおのことそう。
さらに、「裁判員制度なら死刑判決が出た」と言う人がいますが、裁判員制度でも、裁判官が全員一致で死刑を否定すれば、死刑判決は出ません。
裁判員制度賛成派を見ていますと、裁判員制度を理解していない人が多い。まあ、量刑がわかりづらいので、無理もないのですがね。
(死刑を課すには、裁判官1人を含む5人以上の賛成が必要)
千葉県松戸市での女子大生強盗殺人事件で、被害者一名にも関わらず死刑が出たのは、被告人の前科と、放火があったからで、これはむしろ例外に近い。
広島県の自動車工場暴走無差別殺人事件(被害者一名)の被告人引地利明は、反省の態度もないのに、無期懲役でした。
そもそも、裁判員制度最初の殺人事件の被告人、林貢二は二人殺しても死刑にならなかった。
裁判員制度を肯定する人は、これまでの殺人事件をキチンと分析してほしい。
そして、刑事裁判は、何のためにあるのかを考え直すことです。