まずは、今年1月23日で「あすの会」(「全国犯罪被害者の会」)の代表幹事を退かれた岡村勲弁護士にお疲れ様と言いたいと思います。

 岡村氏は、1997年に仕事上の逆恨みから奥様を殺害されました。そこから、被害者遺族となった方々と語り合うことで、被害者遺族の連携ネットワークを作るもととなり、「全国犯罪被害者の会」(現・「あすの会」)を結成することになりました。



 詳しくは、こちらを → http://www.navs.jp/index.html



 この2011年までで、被害者や被害者遺族を支えるネットワークは大きくなりました。この「あすの会」の功罪を分析してみたいと思います。



 まず、「功」の部分から。



・犯罪被害者やその遺族の心の支えとなる組織となった。

 犯罪被害者の悲しみを共有する仲間ができたのは、心強いと思います。また、犯罪被害者遺族の中には「自分はもう幸せになってはいけない。」という思い込みに囚われる人も多いのですが、そういう人たちを、自分の幸せを追及する方に向かわせる力をつけた。



・犯罪被害者としての意見が世間に届くようになった

 一人や二人では言えない人も、組織だって発言すれば被害者の悲しみや意見を言いやすくなり、また、組織の力で届きやすくなる。



 こういう風に、犯罪被害者の心を支える組織になったことは、まさしく素晴らしきことでしょう。また、犯罪被害者の受けている実態を明らかにするために活動を頑張ってほしいと思います。



 次に、「罪」の部分。



・刑事裁判に被害者感情を取り入れさせたため、刑事裁判の公平性を損ないかねないこと

 被害者の遺族の悲しみは理解すべきでしょう。しかし、それにひきずられた裁判は公平ではありません。被害者遺族の悲しみの大きさにも色々ありますし、中には遺族から疎まれていた被害者もいるかもしれませんが、そういう人だと殺しても罪が軽くなりかねません。こういうことをすると、被害者や検察が悲しみのパフォーマンスに走りかねません。被告人側も、それをやって同情を買うような裁判になっています。

 刑事裁判は、犯した罪の事実を捉え、それをもとに刑を決めていくのが本来の姿勢です。厳しい言い方ですが、悲しみのパフォーマンスなど邪道です。それは、被害者遺族が裁判に参加することでひどくなっています。



・増長する被害者遺族を出現させたこと

 これも、被害者遺族の悲しみが世間の心を打ちすぎた弊害でしょう。「坊主憎ければ、袈裟(坊主の仕事時の服)まで憎い」と、加害者本人だけでなく、周囲まで憎むあまり、必要以上に訴訟をする遺族が出てきました。



 代表的なのは、

「福岡市東区で平成18年8月、追突されたRV車が海に転落、きょうだいの幼児3人が水死した事故で、追突した車を飲酒運転していた元同市職員の今林大被告(26)に飲み水4リットルを渡した友人男性(26)に、3人の両親が200万円の損害賠償を求めた訴訟の判決」



 です。この訴訟に関して、一度この友人は逮捕されていますが、起訴猶予処分となります。不服に思った被害者の両親である大上哲央さん(37)とかおりさん(34)が検察審査会に審査を依頼しますが、それも「不起訴相当」の結果となり、起訴されることはありませんでした。つまり、これに関して民事訴訟を起こしても、勝てる見込みはないのです。



 可愛い盛りのお子様を3人とも亡くした悲しみが相当なのは理解できます。しかし、いつまでも悲しみにうつつを抜かしていてはいけません。冷静に現実を受け入れることは必要です。訴訟の際、被害者に迎合するばかりではなく、時には現実を見据えさせるために喝を入れるブレインのような人間も必要です。

 特に、大上さんは悲しみを乗り越えて新しい命を作ったのですから、いつまでも悲しみをひきずらず、新しい命の将来に向けて前向きに努力するべきでしょう。



 さらに、この大上さんはやはり被害者意識が必要以上に強すぎると思います。田中裁判長が判決の理由として、「刑事司法手続きの範囲を超え、すべての真相を知ることが当然とは言えない」と述べましたが、これも当然のこと。被害者だから何をやっても許されるわけでもないのです。そこも、誰かがわからせてあげないといけません。「最高裁まで行けばわかるのではないか?」と言う人もいるかもしれませんが、それでは日本の裁判制度に失望するだけ。被害者遺族の中でも冷静な人間が説いてあげるべしょう。



 以上より罪の部分は、被害者意識を不必要に増大させ、結果として勘違いした犯罪被害者遺族を作り出したことでしょう。増長している犯罪被害者遺族にいかに喝を入れるかも、ネットワークたる「あすの会」の責務でしょう。これを怠れば、そのうちカルト教団のような社会に有害な団体に陥るか、一般市民から敬遠されるような団体になるでしょう。



 色々書きましたが、「あすの会」が意味のある会として、これからも活躍して下さることを祈っています。