前回
はこちら。
前回は、耳かき嬢殺害事件の裁判員を酷評する人々は裁判員制度に無知な人々が多いのではないか、と書きました。これが特徴の1つめですが、2つめは自分の意見が世間の多数派(マジョリティ)と信じている人間が多い、と言うことです。それだけ、人間の幅が狭いのだと思います。
私も人のことは言えない部分があります。私の高校時代ですが、第一志望の高校にほぼ最下位の学力で入りました。比較的得意な数学もその学校では下の中でした。そんな私ですから、一生懸命勉強しなければ、と数学を中心に勉強しました。で、私は高校で使う教科書を読んでいたのですが、正直、読んでいれば練習問題なんか公式を見ながらだったらすぐ解けるレベルでした。学校採用の問題集である「4STEP」もA問題は公式さえ覚えられれば楽勝でしたし、B問題もかなりの問題は楽に解けます。そのことから私は、「数学と言うのは教科書を読めば、教科書レベルの問題は誰でも簡単に解ける。」と考えていました。数学が苦手だと言う生徒は、学校採用の問題集のうち、発展的な問題や章末問題で悩んでいるのだなあ、と。なぜなら、成績下位の私がそう考えられるくらいだから、下位じゃない人間はわかって当たり前。他の学校へ行った人も、その学校のレベルに合った教科書を使っているのだからわかって当たり前だと信じておりました。
それは違うということを思い知らされたのは、割と最近でした。高校生を教えているのですが、優秀でない学校の場合、たいていの生徒は説明してもなかなかわかってもらえません。定期テストも、難易度を下げたのを事前に教え、何とかしていました。課題テストでは、2年生に1年生でやった数学の範囲を混ぜて宿題をだし、答えも渡してやらせたのですが、テストの成績はさんざんでした。ちょっとだけレベルをあげた問題(もちろん数値も変えてなく、教科書で言えば平均的な学校の標準問題クラス)がひどすぎるできでした。
数学の場合、高校生でも飛び級できるレベルの人も、小学5年生レベルの人もいるのだと実感しました。
耳かき嬢殺害事件の裁判員を酷評する人々のブログを読んでいますと、人に死を与えることにためらいを感じた人々の気持ちが全くわかっておらず、自分と違う答えを出しただけで不満だと言っている人も数多かったです。
キツい言い方かもしれませんが、この人たちの周囲は、人に死を与えることにためらいがない、というような人たちなのでしょうか?そんな人間の集団なんて、殺人鬼予備軍ですよ。というか、そのうち殺人・殺人未遂事件でもおこすんじゃない。
また、「酔っ払いオヤジの管巻き」を国民目線とか言っている人がいますが、酒の力で適当なことまくしたてるのが国民目線なら、反映させる必要はありませんね。
2つめは、「自分の思考が世間の多数派と勘違いしていることが多い」でした。
3つめは、「生命を軽視する傾向が強い」と言うことでしょう。人に死を与えることにためらいを感じ、慎重に判断した裁判員を酷評するのですから、生命の価値をわかっているとは言い難い。林貢二被告を死刑にすれば、被害者のお二人は生き返るのでしょうか?
大体、裁判員やその家族の立場になるのは、被害者やその遺族の立場になるより可能性が高い。また、裁判員は被害者側の声を一方的に拾うのではなく、被告側の声も聞かなければならない。被害者側だけを聞けばいいと言うものではない。裁判員の職務を理解しているとは思えない。
彼らが「動物愛護」とかいうのを聞いていると、本当に生命の尊厳を大事にしているのではなく、ただ自分たちの好きなものを守りたいだけにしか思えない、偽物の尊厳にしか思えません。
結局、彼らは・裁判員制度に対する無知 ・自分の思考が世間の多数派と考える妄信 ・生命に対する尊厳の欠如
の傾向が強く見られます。
だが、酷評する一般人以上に、この制度の制定に関わった人間の方が、生命を軽視する傾向や、自分の思考を社会の多数派と考える傾向は強いのかもしれない。世間は、裁判員となって市民感覚を反映させたいのだろうと考えており、死刑が妥当であれば死刑を下せる人間が多いと信じ込んでいる。冒頭の「高校数学は、教科書を見れば章末問題以外は楽勝。」と考えていた私と変わらない。
もし、そう思っていないのなら市民が司法に口出ししないようにするための布石を打った制度だと思います。「アメリカさん、日本では裁判員制度は無理です。」と言わせるために。あるいは、国民VS国民にして、国の不満から目をそらさせるために。
皆さん、国とマスコミに踊らされて裁判員制度の本質を見失わないように気を付けましょう。