元判事で新潟大法科大学院の西野喜一教授のお話です。私は、この人の話をもとに、持論である裁判員制度廃案論をあげてもよろしいのですが、やはりこの話を信頼するのは危険だと思い、取り上げようと思います。
読んでいて感じたのは元判事らしく、裁判員に責任を押し付けようと言うことが感じられます。
>裁判官裁判なら、2人以上殺害して死刑になっていない例は少なく、死刑の可能性が高かったと思う
ここで注意してほしいのは、「2人以上」であって、「2人」と「3人以上」を分けていないことです。それは、「3人以上」もいれれば死刑判決が出る率は高まります。この事件を評価するには、「2人」の場合だけで評価しないと正当ではない。そして、同じ「2人」であっても、「強盗殺人」と、「性犯罪や放火が絡む殺人」と、ただの「殺人」でも量刑は変わります。ついでに言うと、重大な前科があるかないか、被害者や遺族を直接侮辱する発言があったかどうか、と言うのが関わります。
この事件は「2人」「殺人」が主な要素です。これで判断しないといけません。犯行動機等に情状酌量の余地がないことを考えても、これだけで死刑を下した例は実は、実は少ないです。半分はいっていません。少なくとも、確実に死刑と言えるとは思えません。
私は、ここを参考にさせていただきました。少なくとも、近年の部分は調べられているので参考になると思います。
http://www.geocities.jp/masakari5910/satsujinjiken_ryokei_d04.html
また、判例に沿った判断がそんなに悪いのでしょうか?何でもかんでも死刑にすればいいのか?そんな問題ではないでしょう。例えば、「人を殺したら死刑!」とかいうのなら、例えば、友人を守るために、暴行をふるう奴を武器で殺したとします。しかし、元は友人に大きな原因がある場合、殺した人はどうなるのでしょう。そういったケースを重ねて決めるのが判例です。厳罰化すべきと言う人もいますが、そういう人は大体被害者よりの判断をしていて公平ではない。ルールを変えるには、そのルールが公平でない理由を示さなければならないが、何を公平うんぬんを言うのでしょうか?ちなみに、「人を殺したら死刑。」は被害者に一方的に偏ったルールで被告側のことを考えていません。
そもそも、個人が「これは死刑しかない」「これは死刑とは言い切れない」とかを明確に区切れませんし、そもそもそんなルールをつけられる人間がいるとして、その人間にすべて決めさせるのでしょうか?たとえ、自分には承服しがたい内容だとしても。第一、それでは独裁じゃないですか。
「永山基準」にしても、あれは裁判官の合議の末に決めたものであって、独裁ではありません。否定するのは結構ですが、被害者、被告人、どちらかに偏らないこれ以上の判断基準が出せるのでしょうか?