今日は月一回定例の
オンラインお茶会
定例とはいえ
先月はお休みしたので
二ヶ月ぶりの開催でした。
いつものように
さまざまな話題が出たけれど
自分で話しながら
そうだよな、としみじみ思ったのが
片づけなんだけど
片づけではない
片づけではないけれど
やっぱり片づけ、ということ。
「片づけ」は
わかりやすい言葉で
気軽に使ってしまうけれど
よく考えてみると実は
本来の意味を知らなかったり
解釈が人によって違ったりする
難しい言葉でもある。
「片づけ」が好きな人もいるけれど
割と多くの人たちは
その話題になると
プレッシャーを感じたり
ものすごく大変だと思ったり
「片づけられない」
「うちも片づけたい」
「片づいていないから人を呼べない」など
現状を否定する言葉が出る。
「片づけ」と言葉を発するだけで
身体がキュッと縮まって
なんとなく憂鬱だったり
後ろめたかったり。
そりゃそうよね
私も「片づけ」を目的に暮らすのなら
全然楽しくない
だから
片づけたほうがいいとかなんとか
その行為を押しつけるつもりもないし
声高に「片づけ」を語らず
自分が気楽に
きげんよくいられるような
暮らしの作り方が伝わる方法はないものかと
いつも思ってる。
ライフオーガナイザーとして
活動を始めた頃の屋号は
「くらしづくりNEST」でした。
自分で考えた
「くらしづくり」という言葉は
当時検索しても出てこなかったから
好きを大切にした
居心地のいい空間=NEST
きげんのよい「暮らし」をつくる言葉として
良いのでは?と思って。
片づけそのものよりも
「好き」が重要で
それが伝わるといいなと。
大きく活動していないけれど
いまもその気持ちは変わりません。
背中伸びーーー、のオシリ
「こんな暮らしがしたい」を
実現するための
数ある手段のひとつに片づけがあって
片づけそのものは
暮らしの目的ではないと
表現を変えながら何度も書いてきたけれど
理想の暮らしを実現する
やりたいことをやる
そこに向かう過程で
片づけが
必要なのであれば
やればいいし
必要ではないのなら
やらずに次のステップに行けばいい。
実際、必要ないのに
悩んでいる人もいるのは
片づける「べき」の呪縛かと思う。
「どんな暮らしがしたいか」
「その暮らしをするのはどんな部屋なのか」
「何をすればその暮らしに近づくか」
目的が明確になれば
そのためにやるべきことを
ひとつひとつやっていく
時間がかかってもいいから。
実際、私もかなり時間かかってる。
まだ途中だしね。
でも、そこへ向かってると感じられることが
日々の暮らしの満足度を高めると思ってる。





